葬儀用語集

葬儀用語集:あ行

後飾り(あとかざり)

ご葬儀が滞りなく終了し、ご遺族が火葬場からご自宅に戻り故人様を供養する 四十九日法要が行われる忌明けまでの間、ご遺骨をご安置する祭壇のことを、 「後飾祭壇(あとかざりさいだん)」といいます。

この祭壇は四十九日の満中陰(まんちゅういん)まで飾る祭壇ということで「中陰壇(ちゅういんだん)」ともいわれています。後飾りをする場所はご自宅に仏壇がある場合は、仏壇の前に仏壇が無い場合には、部屋の北、もしくは西に置くのがしきたりです。

祭壇は二段か三段の小さな机などに白い布をかけて祭壇を作り、この出来上がった祭壇の上の段にご遺骨をご安置し、遺影や位牌、香炉、燭台(しょくだい)、線香、お供え物やお供えの花、おりんなどは下の段に置くようにします。

四十九日の忌明けまでの間、毎日ろうそくを灯し、線香を絶やすことなくたき、故人様を供養します。

ご葬儀に出席することができなかった弔問客なども、この後飾りの祭壇にお参りすることになります。四十九日の法要が終わるとこの後飾りの祭壇は必要なくなりますので、不要になった祭壇はご遺族の手で処分していただいても問題ありません。

地域指定の分別ゴミとして処分されても問題はありませんが、ゴミとして処分することにどうしても抵抗がある場合は、弊社にご連絡いただければ、無料でお引き取りに伺います。また、四十九日まで供養してた白位牌は、菩提寺に返し新たに漆塗りの位牌を準備し、ご住職に「魂入れ」をしていただき、その後は仏壇に入れ、供養します。

ご葬儀をキリスト教式で行った場合も後飾りを用意して、ご遺骨をご安置して、十字架などを飾ります。ご葬儀を神式で行った場合は、白い布はかけずに、白木の八足の壇を利用することもあります。 その場合、火葬場から家に帰り、「帰家(きか)祭」 を営むので、そのための祭壇である「仮霊舎(かりれいしゃ)」を設けます。白木の案(あん)で祭壇をつくり、中央に遺影、遺骨、霊璽(れいじ)(位牌と同じ)を飾り、お供え(洗米・塩・水)、榊、灯明などを飾ります。本来、火葬後、すぐに埋葬するのですが、最近は仏教の忌明けと同様に、五十日祭のころに埋葬することが多くなりました。

お仏壇の中にはご遺骨はご安置しない考え方から一時的に、ご遺骨をご安置する棚として広く用いられています。葬儀社が用意してくれる場合が多く、ご葬儀プランの中に含まれている場合や、オプションとして選択する場合があります。

後祓いの儀(あとばらいのぎ)

神道では、「神が死を嫌う」という理由で、このような儀式が行われるようになったようです。死は不浄なもの、けがれとみなされるので、神社でご葬儀を行うこともありません。そのような理由からか、故人様は肉体を離れて祖先の霊とともに留まって、一家の氏神(守護神)となるとされています。このため、神式葬儀では「葬場祭」と呼ばれて「死のけがれ」を清め、霊の祖先の霊として祭る必要があります。

神道のご葬儀は、「通夜祭」、「遷零祭」、「神葬祭」、「出棺祭」、「後祓いの儀」、「火葬祭」、「帰家祭」という順序で行われます。神式における出棺の時に行うのが出棺祭ですが、近代ではわりと省略されることが多くなっていて、その際は葬場祭の祭詞の中で出棺の祭詞も奏上されるようになっています。

出棺が終わると残った人は祭壇を片付けたり、手水の儀を行ったりして、神職にお祓いをしてもらいます。これが後祓いの儀ということになります。祭壇を片付け、家の内外を清掃してお清めします。これが後祓いの儀となります。

現在の後祓いの儀の実際は次のようになります。関係者はまず手水の儀を行い、小案の前に座ります。神職の祓詞でお祓いが始まります。仮霊舎から部屋、家の内外へと後祓いの儀を行います。

仮霊舎のない場合は、遺骨が戻ってくるまでに祭壇を準備しておきます。同時に火葬場から戻る親族や関係者のために、手水の儀の準備を玄関口などに準備しておきます。火葬場から戻ってきた人たちは、建物に入る前に手水の儀を行います。入り口で柄杓から水を手にかけてお清めをします。両手を清めたら塩を用いて身体を清めます。

他のご葬儀とは違い、死者の不浄を祓い清めて浄化することが基本となっているので、細かい手順や取り決めがありますので、神式葬儀に親しみがない場合に葬列するときは、一度、どのようなものなのかを確認しておきましょう。

遺影(いえい)

遺影とは、物故者を偲ぶために作られる写真、もしくは自画像です。

通常はご葬儀の時に飾られまずが、自宅では床の間に代々飾られることが多く、通常は胸から上の肖像画で、特に写真の場合、スナップ写真から本人だけを抜き取ることができます。 通常は四つ切というサイズで引き伸ばされ、社葬や団体葬などの大きなご葬儀の時はもっと大きなサイズに引き伸ばされまず。ご葬儀の後は、代々のご先祖と共に仏間に飾られます。

従来はフレームは漆塗りの黒、写真は着物を着たモノクロのものを用いる事が多かったのですが、葬儀会場に冷たい印象を与えるといった理由から、フレームは自由になり、カラー写真が用いられることが多くなりました。本来は自分の気に入った写真を用意すべきですが、大半が旅行や結婚式などに参加した時の集合写真などからの拡大・修正が多く、デジタルカメラなどのデータで残された場合、家族が見つけることも困難であることから、後世に残す重要な写真として確実に保存する必要性があります。

アメリカなどでは、遺体保存の方法が発達しているために、ご葬儀の場面では棺をオープンすることから特別に遺影写真を飾る習慣はありません。近年では、一部の葬儀社がサービスの一環として、パソコンを用いて遺影の顔の輪郭などに調整を施したり、衣服を変えたりすることもあります。 さらに画像加工会社の中には、ご葬儀で使う写真を事前に預かって保管するサービスを始めた企業もあります。 写真の遺影の他、電飾写真、液晶遺影などの新規な遺影も見受けられるようになりました。

さらなる技術の発展によって今後の遺影の携帯も変化を遂げると予想されます。例えば、モーションポートレートやライブポートレートのような動画のポートレートを遺影に使う動きも予想されます。2011年1月より、生前に自分の気に入った遺影写真をWEBから預け、それをご葬儀で使用される仕組みがスタートしました。2011年2月に明るい遺影写真展と題して東京・大阪・福岡で写真500展あまりが展示され、従来の照明写真的遺影から脱却した自然で本人らしい写真の推奨が行われました。

遺骨(いこつ)

遺骨とは死者の骨のことをいいます。

遺骨という概念には事故や事件などにより発見されず自然の中で白骨化したものも含みますが、多くの場合考えられるのが、病気などで亡くなった後に、ご葬儀をとり行いその後火葬場へ行き、荼毘に付した後の状態の骨を指します。

こうした遺骨は親族などにより骨壺に収められます。これを「骨揚げ」とか「収骨」などといいます。地域などにより、異なりますが多くの地域では血縁の濃い方から順に2人一組でひとつづつ骨揚げをすることが多いです。なので同じ食べ物を2人の箸で奪い合う行為は骨揚げを連想させるとして縁起が悪く忌避されます。

骨壷に収められた遺骨は、通常は自宅にご安置(後飾り壇など)または寺院に預けられます。そして墓地または納骨堂に仏式の場合は四十九日の法要が終わった後、神式の場合は五十日祭までに納めるのが一般的です。これを「納骨」といいます。

なお、遺骨を墓に埋葬せず、自宅に飾ったままにしておくというのは法的には全く問題がありません。何日後までに埋葬すべきだというのは法的にも文化的にも確たる根拠はないです。

まだ死んだ事に対して気持ちの整理がついていないとか、納骨するまでに会わせたい人がいるとか、まだ埋葬する墓地や納骨堂が手配できていないなど様々な理由で納骨する時期が見送られるケースも多いかと思います。

近年では「手元供養」という事であえて遺骨を納骨しないという人も増えています。

ただし、「墓地、埋葬等に関する法律」という法律により、墓地以外の埋葬又は火葬場以外の火葬を禁止する項目があります。なので、自宅に保管はできても墓地以外の例えば故人様の思い出の場所に遺骨を納めたいというのはできません。

また近年では遺骨を細かくし加工して故人様を偲ぶという新しい方法もできました。例えばエターナルプレートといって故人様の遺骨を混ぜて加工して、そこに故人様の名前や生没年月日を記して作った石板を自宅にご安置して供養したり、遺骨を混ぜた小さなプレートをペンダント状にして常に故人様と一緒にいる事ができるようにしたりと様々な方法で供養するパターンが現れました。

これら遺骨を加工するという行為は法的には問題ないものとして解釈されていますので、今後もこうしたサービスを行う会社も依頼主も増えてくるものと思われます。

いずれにしても、故人様との思い出を大切にするよう遺骨も丁重に扱いたいものです。

遺族(いぞく)

遺族とは、死亡した者の家族・親族。

物故者の両親、配偶者、子、兄弟姉妹を指します。 一般的には死亡時に死者によって生計を維持していた者とすることが多く、法的に婚姻関係になり事実婚の配偶者を含めることが多いです。

喪主は、ご葬儀の主催者のことをいいます。 ご葬儀後の物故者の供養の主催者とされる人が努めます。ほとんどの場合は、家長に相当する親族が喪主を勤めます。 物故者の配偶者か子が喪主を努めることが多く、または配偶者や子がいない若い独身者の場合は、親が喪主を努めることが多いです。

物故者の子が独立して生計を立てておらず、物故者の親が健全な場合は、親が喪主を努めることが多いですが、物故者の子が喪主を努めた上で別の成年親族を後見人とする場合もあります。

遺族の代表者として弔問客への応対を努めることが多く、実際のご葬儀の運営や進行は葬儀委員長や葬儀会社が努めます。家制度が存在した前々の日本では戸主が喪主を努めました。

遺体(いたい)

遺体は死者と特別な関係にあった遺族・知人などにとっての死体の意となります。

遺体の原義は「遺された身体」です。死体は「死者の身体」の意味です。死体が一般的な表現であるのに対して、遺体は死者と特別な関係にあった遺族・知人などにとっての死体の意となります。遺体に対して特別な感情があり、遺体の尊厳が極めて大切とされています。

死体に対して人間性を込めて使うのが「遺体」です。

病院で亡くなられた場合、病院側が死化粧を整え病室をでます。その後、病院の霊安室に移動したり、そのまま自宅へ運ばれます。自宅で遺体のご安置が難しい場合は、葬儀社が保有する保管施設でご安置することになります。

病院からの遺体のご搬送は、病院と提携をしている葬儀社へ依頼する場合と、ご自身で葬儀社を手配することのどちらでも可能です。病院からの葬儀社の紹介を断ることも決して失礼にはあたりません。

遺体の保存について心配される方もいらっしゃるかと思います。例えば、年末年始は火葬場が休日に入り、休日明けの混雑なども考慮すると、数日間~1週間ほど待機状態になることも考えられます。また最近は東京都内を中心に関東圏では式場が混みあっている場合もあります。

死亡後、迅速にドライアイスで遺体を冷やすなどの適切な処置を行い、保冷施設を利用するなどすれば、数日から1週間ほどの遺体の保管は可能です。もしも事情により保管期間がそれ以上に延びてしまう場合には、エンバーミングを施すことを考えなると良いでしょう。

一般葬(いっぱんそう)

ご家族やご親族、親しい方々だけでなく、会葬者(会社関係やご友人)の方にもご参列してご葬儀を行うお葬式です。

一般葬とは、宗教儀礼に重きを置くご葬儀の形式で、ご家族やご親族、親しい方々だけでなく、会葬者(会社関係やご友人)の方にもご参列してご葬儀を行う、まさに先祖代々行われてきたご葬儀の形式です。ただ最近では、家族葬というご葬儀が一般的に浸透してきたこともあり、家族葬よりもご参列者の方が多いという規模的な意味合いを含めて一般葬と呼ばれることがあります。都典礼では、一般葬として、葬儀儀礼を中心とした従来のスタイルを踏襲しつつ、綺麗なお花に囲まれてお見送りするなど現代的なスタイルでの一般葬のご提案も可能です。

一日葬(いちにちそう)

一日葬(ワンデーセレモニーやワンデー葬儀と呼ぶ場合もあります)とは、言葉通り一日で火葬まで行うご葬儀の儀式です。

従来の葬儀形式にとらわれず、葬儀前夜のお通夜は行わず、ご火葬の日にご遺族や親しい方々にお集まりいただき告別式を行います。火葬式より、よりゆっくりと故人様とお別れできるだけでなく、ご遺族や遠方から参列する方々の精神的な負担や経済的な負担も軽減することができ、首都圏を中心に一日葬が選ばれることも多くなっています。

位牌(いはい)

位牌(いはい)とは、死者の祭祀のため、死者の戒名などを記した木の板をいいます。

儀に用いる白木の位牌は、四十九日までの仮の位牌です。身近な人が亡くなったときは、四十九日法要までに漆塗りの本位牌に作り替えなくてはなりません。戒名の文字入れに2週間位かかりますので、早めに仏壇店に依頼しておくことが大切です。

白木の位牌は、四十九日法要の時に菩提寺に納め、新しく作った本位牌に住職から魂入れをしていただきます。お寺で四十九日法要を営むときは、位牌を持参して魂入れをお願いします。魂入れをしていただくことによって、ただの商品としての位牌から、魂の入った真の位牌に変わります。

四十九日法要を終えた後、位牌は仏壇にご安置しますので、仏壇のない家は四十九日までに仏壇の手配が必要となります。位牌は故人様そのものと考えられています。位牌の形は宗派に関係がないので、好みの形を選ぶことができます。すでに位牌がある場合は同じ形で揃えることもありますが、故人様にふさわしいものを選ぶとよいでしょう。

位牌の大きさは、仏壇の内部の作りに合わせることが大切です。初めて位牌をつくる場合は、先にご安置する仏壇を決めてから考えたほうがよいでしょう。先祖の位牌がある場合は、同じ大きさか、少し小さい位牌を選ぶのが一般的です。位牌を選ぶ場合、仏壇にご安置するご本尊の高さより小さい位牌を選びます。

夫婦の位牌は、同じ大きさを選ぶのが一般的です。位牌は本来一人ずつつくるものですが、夫婦の場合、一つの位牌に二人の戒名を連ねて入れることができます。位牌には、戒名と亡くなった没年月日、俗名、行年(享年)を入れます。戒名の文字は昔の漢字が使われることもありますので、白木の位牌の文字をそのまま正確に仏壇店に伝えることが重要です。

位牌の戒名入れの手法には、機械彫り文字と手書き文字があります。機械彫りの方がより整った文字を入れることができ、手書きの場合は味わいのある文字を入れることができます。位牌の戒名入れの手法には宗派による決まりごとはありませんので、どちらか好みの方を選ぶことができます。すでに位牌がある場合は同じように揃えることが多いです。

位牌は故人様そのものと考えられていますので、丁寧に戒名の文字を入れることが重要です。位牌を購入する時は、文字入れサービスとか、文字彫り無料などの言葉に惑わされずに、真心を込めて戒名の文字を入れてくれる仏壇店を探すことも大切です。位牌には、漆を塗り金箔や金粉などで飾った塗り位牌と、黒檀や紫檀などで作られた唐木位牌があります。

仏壇店以外でも最近は、葬儀社や石材店などで位牌を扱っているところもありますが、やはり専門知識を持った信頼できる仏壇店で購入するのが安心です。

遺産 (いさん)

遺産とは、亡くなった方がご存命中に所有されていた財産その他の有形的・無形的価値のことです。

民法第896条本文・第906条では遺産は被相続人(亡くなった方)に属した一切の権利義務と定められています。すなわち、民法ではプラスの遺産、例えば現金、預貯金、土地、家屋、著作権、受取人が本人の生命保険だけでなく、マイナスの財産、例えば亡くなった方が負っていた借金や住宅ローンも遺産とされているのです。

相続が発生した後、つまりある方が亡くなった後、遺産は相続人により承認または放棄(民法第938条)が行われますが、承認にはさらに単純承認(民法第920条)と限定承認(民法第922条)があります。したがって例えば親御さんが亡くなり借金や住宅ローンがあることが分かり払うことができない場合には、ご自身のために相続の開始があったことを知った時から3ケ月以内に、相続を放棄するか限定承認をする必要があります(民法第915条第1項本文)。

しかし、相続人が数人いるときは「限定承認は、共同相続人の全員が共同してのみ」行うことができます(民法第923条)。限定承認をしようとするときは、自己のために相続の開始があったことを知った時から3ケ月以内に、相続財産の目録を作成して家庭裁判所に提出し、限定承認する旨を申述しなければなりません(民法第925条)。相続放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければなりません(民法第938条)。

相続人が複数いる場合には、遺産は相続分の規定又は遺産分割の規定(民法第906条~第914条)によって分配されますが、相続分にはさらに法定相続分(民法第900条)と指定相続分(第902条)があります。ただし、墓地、仏壇、死亡退職金、受取人が指定されている生命保険は遺産分割の対象とはなりません(民法第896条但し書き・第897条)。

なお、遺産分割は「遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮して」行わなければなりません(民法第906条) 。そして、遺産分割について「共同相続人間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、各共同相続人は、その分割を家庭裁判所に請求することができる」(民法第907条第2項)のです。これに対して、相続人が現れない場合には、特別縁故者に対する相続財産の分与(民法第958条の3)が行われた後で、残りの遺産は国庫に帰属することになります(民法第959条)。

忌払い(いみばらい)

忌払いとは、もともとの意味は、仏教において四十九日の法要が過ぎて忌明けとなり、普段の食生活に戻ることを指していました。

忌払いとは、もともとの意味は、仏教において四十九日の法要が過ぎて忌明けとなり、普段の食生活に戻ることを指していました。現在では特に都市部ではあまり守られていませんが、仏教では四十九日の忌明けまでは殺生を避けるために、肉・魚を使った料理を口にしないしきたりになっています。

なのでその忌が明けるという忌みで「忌払い」と呼ばれていました。地方によっては忌払いの儀式があるところもあります。 いずれにせよ、食生活のみならず日常生活も普段どおりに戻しつつあるようにする一つの目安といえるでしょう。

しかし、現在「忌払い」という単語はかなり違う意味で使われています。それは、告別式の後あるいは火葬をしている最中に、親族などご葬儀でお世話になった方達への御礼として設ける席ないしはそこで振舞われる料理のことを「忌払い」と言うようになりました。

これは忌払いという表現よりも「精進落とし」という言い方の方がよく聞くことが多いかもしれません。現在ではこの精進落としと忌払いがほぼ同義として取り扱われるようになりました。

しかし呼び方は異なっていても、亡くなった方の安らかな成仏のために開くイベントであることには、変わりません。忌払いに参加する人は故人様を偲び、料理を口にします。

「忌払い」なので出された料理は口にするのがしきたりです。こうする事で通常の食生活に戻れるという意味合いがある行事だからです。 告別式の後なので、気分的にもなかなか箸が進まないという人もいるかもしれません。それでもなるべく少しでもいいから箸はつけるようにします。

また忌払いで出される料理は本来の意味からいえば肉や魚を断った精進料理が振舞われるべきなのですが、時代の流れや考え方の多様性から、料理の内容についても、肉や魚を使った料理も出されるようになり、あまりこだわらないようになってきました。

参列者に対するお礼のという意味で用意される料理なので、できれば肉や魚を使ったおいしい料理でもてなしたいと考える人も多くなってきたようです。これらの料理は告別式が行われた斎場や寺院で行われることもあれば、どこかの料理屋に移動して行われる事もあるようです。

またこの時に酒を振舞われる事もあります。これは、故人様に対する献杯の意味合いもあるので、車で来た人以外はこれも口にすべきでしょう。いずれにせよ、故人様を偲び親族の意向も汲みながらいただきたいものです。

引導(いんどう)

仏教における葬送儀礼の1つで、ご葬儀において僧侶が死者に対して読経を行った後に読誦される法語

仏教における葬送儀礼の1つで、ご葬儀において僧侶が死者に対して読経を行った後に読誦される法語仏教における葬送儀礼の1つで、ご葬儀において僧侶が死者に対して読経を行った後に読誦される法語。また、法語などを授ける行為・作法をいいます。本来は、人々を、仏道の正しい教えに引き入れ、導く事であり、迷える人々や、死者、霊を経文や法語を唱え、仏道に導くことをいいます。

転じて、お葬式の際に僧侶が棺の前に立ち、死者が悟りを得て成仏できるように経文や法語を読み上げる作法を行います。死者が現世への未練や迷いを断ち切って来世へと旅立てるように導く行為が「引導を渡す」という事であり、また、その読み上げる法語の事を「引導」と呼びます。

お葬式の際に、親族や近親者によって故人様の旅立ちを見届ける中、僧侶がお経を読み終わった後、引導が読み上げられます。ご葬儀の中で、僧侶による読経のあとに“引導渡し”が行なわれますが、これは故人様に対して「あなたは既にこの世の者ではないので、俗世間への思いを断ち切り、迷わず浄土へ向かい、仏に帰依しなさい」といった意味あいを含めた言葉をおくるものです。

死者が成仏できるよう法語を読み上げる引導渡しは、「喝!」(かつ)という言葉を発し「この世への未練を断ち切りなさいと」喝を入れます。この時に死者が仏門に導かれた証といて法名(戒名)が授けられます。もともとは僧侶が亡くなったときに引導が与えられていたが、仏教が鎌倉時代あたりから普及するのに伴い一般家庭でも引導がおこなわれるようになりました。

しかし、引導自体が宗派によって行わない場合や宗派によっては引導の作法の違いがありますのでご自身の宗派で一度お調べになられるとよろしいでしょう。引導の種類や方法は、宗教の宗派によってさまざま形式があり、画一化されていません。また、原則として浄土真宗ではご葬儀において引導はおこなわれないようです。

引導渡しの作法は宗派によって違いがありますが、死者を弔うご葬儀の中では重要な過程となります。現在では、フリガナをつけて、分かりやすい説明をつけたお経の小冊子を配布する所も多くなりましたので、一度じっくりと読んでみるのも良いかもしれません。

現在では(よく時代劇などでも聞かれる口語)、「引導を渡す」のように、最後の別れの意味として相手にネガティブな最終宣告や縁を切ることを告げる際に使われるようになっていますが、この語源は上記の仏語的な意味から来ているとされています。

打敷(うちしき)

打敷(うちしき)とは、仏教寺院や仏壇に置かれる卓の天板の下にはさむ敷物です。

打敷(うちしき)とは、仏教寺院や仏壇に置かれる卓の天板の下にはさむ敷物です。荘厳具(仏像、仏堂を装飾するために用いる道具)の一種です。

元々は釈迦の座る高座の上に敷かれていたもので、後に仏像の前の卓の上に敷かれるようになったのが起源とされます。打敷の「打」には「張る」という意味があり、卓上に張り敷くことを意味します。内敷とも書きます。安価なものは人絹製・機械刺繍のものまであり、高価なものは正絹製・手刺繍のものがあります。西陣織など伝統工芸品になると非常に高価になります。

平時は打敷をかけることはしません。法要は彼岸、お盆、正月、祥月命日などの仏事の際に、卓に掛け荘厳します。49日の間は白無地の打敷を用います。あらかじめ、このような打敷を用意しておくことが望ましいです。用意できなかった場合は、通常の打敷を裏返して白い面を表にして代用することも多いです。

また、季節によって夏用と冬用に使い分けるのが望ましいです。基本的に夏用のものは涼しく薄手のもので、冬用のものは厚手で美しい刺繍されているものが多くなっています。9月中旬(彼岸入り)から5月ごろまでは冬用を用います。6月から9月上旬(彼岸入りの前)までは夏用の打敷を用いるのが望ましいです。

宗派によっても違いあります。浄土真宗本願寺派は逆三角形の打敷で、その形状から「三角打敷」とも呼ばれます。宗紋が入ったものや織物の打敷を主に使用します。浄土真宗本願寺派では前卓の大きさよりもやや大きいサイズが最適とされています。

真宗大谷派は逆三角形の打敷で、その形状から「三角打敷」とも呼ばれます。宗紋が入ったものや刺繍が施された打敷を主に使用します。真宗大谷派では前卓の大きさよりもやや大きいサイズが最適とされています。

その他の宗派は四角形の打敷を使用します。宗紋が入ったものや織物タイプなどさまざまな打敷が仏壇店で販売されています。特注で家紋入りの打敷を作るサービスを行う店舗もあります。

宇宙葬(うちゅうそう)

宇宙葬とは、故人様の遺骨などを収めたカプセルをロケットに載せ、宇宙空間に打ち上げる散骨の一つです。

宇宙葬とは、故人様の遺骨などを収めたカプセルをロケットに載せ、宇宙空間に打ち上げる散骨の一つです。宇宙葬とはいうものの、実際には地球の重力圏を離脱できず、打ち上げられたロケットのほとんどは地球を周回する軌道上に載ります。ロケットはそのまま地球の周りを浮遊したあと、地球の重力に引かれて落下し、最終的には燃え尽きます。

宇宙葬で打ち上げるロケットには、容積・質量の制約があります。そのため、多くの場合はシリンダー状の容器に一人の遺骨を数g入れ、数十から数百人分の遺骨を同時に打ち上げます。ちなみに、宇宙葬に使用されるロケットは、既存の商業ロケットを転用する場合が多いです。

宇宙葬に対する批判として、スペースデブリ(宇宙ゴミ)の増加につながるという声があります。ただし、打ち上げられたロケットや遺骨などは重力によって大気圏に接近する時大気との摩擦によって最終的には「火葬」されます。宇宙葬の代表的な例としては、2004年に行われた150人分の宇宙葬などが挙げられます。宇宙葬の発展形として、人工衛星に遺骨を搭載したり、月面や外宇宙に遺骨を打ち上げるプランも検討されています。

この発展形としては、人工衛星に遺骨を搭載するもの、月面や外宇宙に対して遺骨を打ち上げる例もあります。シューメーカー・レヴィ第9彗星の共同発見者であるユージン・シューメーカーは1997年に交通事故で急逝したのち、2005年に遺骨が探査機ルナ・プロスペクターにより月に送られました。これは月面に対して遺骨が送られた初の例です。

また、冥王星の発見者クライド・トンボーは1997年の死後、遺骨の一部が2006年に打ち上げられた冥王星探査機ニュー・ホライズンズに搭載されました。これは外宇宙に向けて遺骨が打ち上げられた初の例です。外宇宙や他の惑星へ向かう衛星は重量制限が厳しいため、現在は何らかの功績を残した著名人に限られているそうです。

盂蘭盆 (うらぼん)

盂蘭盆(うらぼん)とは、ullambana(ウランバナ)というサンスクリット語を音写したもので、単に盆とも言います。

盂蘭盆(うらぼん)とは、ullambana(ウランバナ)というサンスクリット語を音写したもので、単に盆とも言います。「ウランバナ」には「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさまにかかる)とされてきました。

このため、盂蘭盆は仏教行事の一つとされ、餓鬼道などに落ちて倒懸の苦しみを受けている亡者のために仏事を行うことによって、その苦しみを取り除くことです。盂蘭盆は、もとを正せば中国で始まり、盂蘭盆経に基づいて、苦しんでいる亡者を救うための仏事でした。それが日本に伝わって初秋の満月の晩に行われていた魂(たま)祭りと習合して、祖先霊を供養する仏事となりました。既に斉明天皇3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたという記述があるとのことです。

更に、聖武天皇の天平5年(733年)7月には大膳職に盂蘭盆供養されてからというもの、宮中の恒例の仏事として毎年7月14年に開催され、盂蘭盆供養、盂蘭盆供と呼ばれるようになりました。その後も、奈良・平安時代には盂蘭盆会は公事として毎年7月15日に行われ続け、鎌倉時代には「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行うようになったそうです。

さらに、江戸時代には7月13日から16日にかけて盂蘭盆会が行われるようになったそうです。盂蘭盆は現在の日本でも、7月15日を中心として祖先の冥福を祈る行事とされています。盂蘭盆では通常、迎え火をたいて死者の霊を迎え、精霊棚(しょうりょうだな)を作って供物をそなえ、お坊さんに棚経(たなぎょう)をあげてもらい、墓参りなどをして、送り火をたいて霊を送ります。もっとも現在では、盂蘭盆を陰暦で行う地方もあれば、一月遅れの8月15日に行う地方もあります。

しかし、地域によって時期が異なるとはいえ、盂蘭盆が日本の文化にしっかりと定着した伝統的文化行事であることは確実ですので、大切にしたいと思います。

永代供養 (えいたいくよう)

永代供養 (えいたいくよう)とは、数世代にわたる比較的長期の年月をかけて、亡くなられた方を供養する行為のことです。

永代供養 (えいたいくよう)とは、数世代にわたる比較的長期の年月をかけて、亡くなられた方を供養する行為のことです。もともとは、永代供養は子々孫々の代まで先祖を祀り供養する宗教行事を意味していたものの、現在では墓園業者や寺院の営業用語として使用されることが多くなっています。

そして「永代」という言葉を使っていることに基づく誤解から、トラブルが発生するおそれも高いのです。つまり、10回忌、30回忌や50回忌までという内規が定められている場合や、お墓を継承すべき子孫が改宗などで檀家を辞めるなどして信仰を離れた場合に永代供養の契約が破棄される場合も多いので、文字通りの「永代」ではないのです。また霊園が倒産したり寺院が廃寺したためお墓が消滅に追い込まれることもありますので、「永代供養」だから安心とは限らないのです。

永代供養がいつ頃始まったかは不明ですが、江戸時代に書かれた永代台帳が多くの寺院で見受けられますので、古くから行われていたことは確かです。檀家制度も、同じく江戸時代に設けられた上、檀那寺の維持にその都度つとめることと引き換えに檀家の供養を寺院が行うという点で永代供養を保証しています。しかし、檀家制度は寺院を保持するために近隣を対象としたのに対し、永代供養では地域に関係なしに信仰により供養する点が違います。

したがって、永代供養を古くから行っている寺院の多くは、檀家を持ちません。もっとも、近年は核家族化などのため、檀家寺でも永代供養を行う所が増えてきていまして、このことは檀家制度と永代供養の違いをあいまいにして、ひいては葬式仏教と揶揄される原因の一つともなっています。

最近では、少子高齢化が進行しているため、生前から永代供養する中高年が増加しています。また、お墓や信仰を継承する子孫がいないため死後の供養が期待できない人たちのために、その遺骨や位牌を境内の共同墓地に合祀して、寺院が存続する限り僧侶が定期的に共同墓地を保守管理することを永代供養と定義する寺院もあります。しかも、無縁社会という言葉が流行語となり、2010には年間32000人が無縁死したとすら言われていますので、永代供養ビジネスは活況を帯びつつあると言えるかもしれません。

エンバーミング (エンバーミング)

エンバーミングとは、遺体を消毒や保存処理したり、必要に応じて修復することで長期の保存を可能にする技法のこと

エンバーミングとは、遺体を消毒や保存処理したり、必要に応じて修復することで長期の保存を可能にする技法のことで、日本語では死体防腐処理または遺体衛生保全と言います。欧米では土葬が基本ですから、遺体から感染症を蔓延することをも目的としてエンバーミングが多く行われています。

エンバーミングに際しては、エンバーマーと呼ばれる葬儀専門の技術者や医学資格を持つ医療従事者によって、化学的・外科学的な遺体処理が行われます。より具体的に説明しますと、エンバーミングは現在、次のような方法で行われています。

  1. 全身を消毒処理し、洗浄します。
  2. 遺体の表情を整え、必要に応じて髭を剃るなどの処理が行われます。
  3. 遺体に少切開(主として頚部など)を施し、動脈から体内に防腐剤を注入します。それと同時に、静脈から血液を排出します。
  4. 腹部に約1cmの穴を開けて、そこから鋼管を指し胸腔・腹部に残った体液や、腐敗を起こしやすい消化器官内の残存物を吸引し除去します。 それと同時に、これらの部分にも防腐剤を注入します。
  5. 切開を施した部位を縫い合わせ、事故などで損傷した箇所がある場合にはその部分も修復します。この時、切開を行った部分にはテープ等を貼って目立たなくします。
  6. 再び全身や毛髪を洗浄して、遺族から頼まれた衣装を着せ、表情を整え直した上でご納棺します。

1~6のような処理を済ませた遺体は、注入される薬剤の濃度や量によっては、数日~2週間程度までは常温で保存することができます。また、これ以上徹底した処理を行った場合には、保存できる期間を更に延ばすことができまして、防腐剤を交換するなど定期的にメンテナンスをすれば、生前の姿のまま保存展示することすらできます。

上に書いたことからご想像できるでしょうが、エンバーミングのはじまりは古代のミイラにまで遡れます。しかし、近代においてエンバーミングが急速に発展するきっかけとなったのは、1860年代にアメリカで起きた南北戦争であるとされています。なぜなら、当時の交通手段では、兵士の遺体を故郷に帰すために長い期間がかかったので、遺体保存の技術が必要とされたからです。さらに、1960年代のベトナム戦争の際に、南北戦争と同じ理由で、エンバーミングは一層技術的に発展しました。

これに対して日本では、仏教の影響から火葬の慣習があるので、エンバーミングはまだ稀です。ただ、日本以外の国で亡くなった日本国籍の方を日本国内にご搬送する場合には、エンバーミングが行われる場合もあります。

延命治療(えんめいちりょう)

延命治療とは一般に回復の見込みがなく、死期が迫っている終末期の患者への生命維持のための医療行為のことをいいます。

人工呼吸器の装着、心臓マッサージや昇圧剤投与による心肺機能の維持、水分や栄養の点滴などがあります。しかし、「終末期」の明確な定義はなく「いつまでが救命で、いつからが延命か」という線引きは難しくなっています。

治癒・回復させる治療も、限定的に回復させる治療も、心身の機能を維持させる治療も、進行を遅延させる治療も、延命効果・生命予後は年齢が若いほど大きく、年齢が高くなるほど小さくなります。乳児期・幼児期・児童期・少年時・青年時・中年時・壮年時・前記老年時・後期老年時のどの時期のどの種類の延命なら良い延命・適切な延命で、どの時期のどの種類の延命なら悪い延命・不適切な延命であるか、その定義は困難です。

終末期という状態・時期は全ての人が必ず到達・経験するわけではありません。治療しなければ死に至る病気・障害であり、完全に治癒・回復させる治療、限定的に回復させる治療、進行を遅延させ心身の機能を維持させる治療により、何年・何十年という転移で延命させる治療が可能になり、延命治療は社会に広く普及しました。

慢性病患者や重度障害者になると、終身の医療や介護が必要になります。延命治療を開始する時期が若いほど、余命が長くなるため、医療費は高額になる傾向があります。

本人の意思よりも、家族や意志の判断で行われることも多く、本人の尊厳を重視した「尊厳死(自然死)」の方が本人にとっては幸せなことではないのかという議論もでています。延命治療の考え方は十人十色なので、そのときの状況によって変わってきます。

お清め(おきよめ)

家の中に不浄をいれないという考え方から塩を体にふり「清める」という行為を行います。これを「お清め」と言います。

お通夜や告別式から帰ってきたら、玄関を入る前に行うとよいとされています。

お清めの流れ

手を洗う
火葬場に行かなかった人にひしゃくで水をかけてもらい、手を洗いましょう(省略する場合も)。

塩を用意する
多くの場合、ご葬儀の最後に配られる会葬御礼の挨拶状と一緒に、小さな塩の包みが入っています。

体に塩をかける
自分の胸、背中、足元の順に塩をふります。同居家族がいる場合には、家族の方にお願いします。単身の場合には、自分で行います。

塩を踏む
最後に、足元の塩を踏みます。

仏教では、死は「不浄」ではないため、ご葬儀後にお清めをする必要はないと考えています。そのため、宗派によっては、塩が入っていない場合もあります。 死を穢(けが)れとは捕らえない考えにより、お清めは不要とする考えも強くありますので、お清めをされるか否かはご喪家の考えに基づいてご選択されることが良いでしょう。神道では、死を穢れと考える一方で、仏教では死は成仏、つまり「仏に成る」ため、不浄ではないと考えています。そのため、近年では塩による清めは不要だという主張も多くなってきています。ちなみに、浄土真宗ではお清めは行いませんので、浄土真宗で執り行うご葬儀では、お塩が準備されていないことも多く、また受付だけに置いておくなど、ご希望する方だけ持ち帰るようにしている場合もあります。その流れから、塩の小袋をつけていないといったことも増えてきています。自分は絶対にお清めをしたいという単身の方は、あらかじめ自分で塩を用意しておくことをおすすめします。お清めをするかどうかは、自分自身の気持ちや信条によるものですので、近年の主張に関わらず、自分自身で決めてかまいません。清め塩を使うかどうかは考え方次第。習俗・信仰・地域等、さまざまな事情が絡んできますので、自分自身で判断することになります。

葬儀用語集:さ行

斎場(さいじょう)

斎場とは、ご葬儀を行う場所であり、その施設のことをいいます。現在では、自宅でご葬儀を行うよりも、斎場でご葬儀を行うことが増えているようです。

斎場と定義される場所は様々あります。一般的には、公営の斎場、寺院、教会、葬儀施設など、幅広い場所を斎場と呼んでいます。ほとんどの場合、公営の斎場か、民間の斎場を借りてご葬儀を行うことになります。

公営の斎場は、地方自治体が運営している公的な斎場です。ご自分の住まわれている地域の公営斎場を利用した場合、民間の斎場に比べ、比較的安価な料金でご葬儀を執り行うことが可能です。特に地方では、地方自治体が運営している公的斎場の割合が高く、多くの方が利用します。

これに対し、民間斎場は葬儀社が所有していることが多く、交通の便がよく、日程の融通も利きます。また、葬儀社が使い慣れているということもあり、対応がスムーズです。特に、東京都では民間の斎場が多く、火葬場も併設している場合があります。

菩提寺で行うという選択もあります。僧侶にご相談しやすく、遺族も慣れしたんだ菩提寺であれば、安心して故人様を送り出すことが可能です。いずれにしても、故人様を送り出す最後の場所になるので、よく吟味して決めると良いでしょう。

死化粧(しにげしょう)

死化粧は死者の顔に施す化粧のことです。別名でエンゼルメイクとも呼ばれています。

使用されるのは死化粧用の化粧品になりますので、より安らかな顔に整えることができます。土葬をするアメリカでは、死化粧師(エンバーマー)はポピュラーな存在です。しかし、日本では火葬されることが多いため、あまり重要視されていませんでした。映画やマンガなどの影響を受け、現在では日本にも浸透し始めています。いずれにしても、死者との最後のお別れになるので、気持ちよく送り出せるようにしたいものです。

社葬(しゃそう)

会社を挙げて執り行うご葬儀の式(かたち)です。

社葬とは、会社などにおいて多大な功績を残された方、例えば会社の会長や社長、役員だった方が亡くなられた場合等に会社を挙げて執り行うご葬儀の式(かたち)です。

出棺(しゅっかん)

ご葬儀が終わると、祭壇から棺をおろして最後のお別れとなります。

その際には、遺族や参列者が遺体の周りに生花を飾る”別れ花”が行われます。 故人様に近い人から花を飾っていくため、喪主、喪主の配偶者、親兄弟、子供、というような順で行います。 一

般的には、葬儀社が花を用意してくれますが、自分で入れたい花がある場合には、それを入れることもできます。出棺ですが、棺はそれ自体が重い上に、遺体が納められているため、遺族や親族の中で力の強い男性が数人で霊柩車まで運びます。 運び出すときも、霊柩車に乗せるときも、どちらも足側が先にくるようにするのが通常です。 これは、故人様が家に帰ってこないようにとの思いが込められています。出棺の際には、喪主が位牌を、喪主の次ぎに縁が深い親族が遺影を持つのが一般的です。棺を霊柩車に納めると、喪主あるいは代表者が参列者に対して挨拶を行います。続いて火葬場に向かうとき、遺族や親族は複数の車あるいはバスなどを利用し、喪主は位牌を持ったまま霊柩車で火葬場へ向かいます。このとき、全ての遺族・親族が火葬場へ向かうのではなく、留守番役として数名残ることが多いようです。その場合、留守番役は遺骨を迎える準備や式場の片付けなどを行います。

焼香(しょうこう)

ご葬儀や法要に際、仏前や霊前に香を焚いて敬虔な心を捧げることです。

焼香には「座礼(ざれい)による焼香」や「立礼(りつれい)による焼香」、または「回(まわ)し焼香」などがあり、宗派によって作法が異なります。

浄土宗(じょうどしゅう)

承安5年(1175年)、法然上人によって開かれた浄土宗は、阿弥陀如来が作った極楽浄土に往生することを説いた教えです。

阿弥陀如来の救いを信じ、「南無阿弥陀仏」と唱えることで心身ともに清らかになり、人生を豊かに生きることができる。そして死後は仏となって浄土に生まれることができる、というのが教えの骨子です。総本山は京都府東山区の華頂山知恩教院大谷寺で、東京都港区の増上寺をはじめとする七大本山が存在します。主な経典は『浄土三部経』と呼ばれる『阿弥陀経』『無量寿経』『観無量寿経』の3つ。浄土宗のご葬儀の主な特徴は僧侶が行う『あこの儀式(火葬での点火の意)』です。僧侶が棺の前に進み焼香し、松明を意味する法具を2本取り、その1本を捨てる『おんりえど(煩悩にまみれた現世から離れる意)』を行い、もう1本の松明で円を描いて『あこの文』を読み上げ、同時に松明を捨てます。これを『ごんぐ浄土(極楽浄土に往生したいと心から願う意)』と言います。浄土宗のご葬儀の真髄は阿弥陀仏と参列者の縁を結ぼうとする『念仏一会』にあります。阿弥陀仏の救いを信じ、念仏を唱える者は必ず極楽浄土に往生できるという法然上人の教えが拠りどころなのです。

浄土真宗(じょうどしんしゅう)

日本の仏教の宗派のひとつで、明治以前は一向宗と呼ばれていました。宗祖は親鸞です。

念仏は「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀様への帰依を表明する文句です。「南無阿弥陀仏」と唱えることで、極楽への道が開かれるといいます。これはただ声に出せばいいのではなく、信心の心が大事だという教えも親鸞は説いています。浄土真宗のお坊さんになるには、2週間の講座を受けるだけでなれます。特別な修行はいりません。教えとしては、「如来のの本願力によって、悪人だけでなく、善人まで救われる」というものです。これを誤解して、「どうせ救われるのだからどんな悪いことをしたってかまわない」という間違った考えが出回ったりしたこともあります。「亡くなった後はすぐに成仏する」という考え方から、戒名はありません。「戒すらまもれない一般的な自分たちであるが、阿弥陀如来の他力に誓願によってのみ救われる」という考え方が関係しています。代わりに法名というものをつけます。これは仏弟子になったという証です。男なら釈○○、女なら釈尼○〇という三文字の名前が付きます。浄土真宗では、一般的な日本の仏教葬儀で必要となる位牌がいりません。位牌の代わりに過去帳というものに名前を書いたり、法名軸をかけたりします。

真言宗(しんごんしゅう)

真言宗とは、弘法大使(空海)が中国(唐)に渡って「密教」を学び、それを日本に伝えたことが始まりで、平安時代初期に大成した真言密教の教えを教義としています。

その思想の中心は「曼荼羅(まんだら)思想」です。真言密教の「真言」というのは、仏の真実の「ことば」を意味しているのですが、この「ことば」は、人間の言語活動では表現しきれないこの世界や様々な事柄の深い意味、すなわち隠された深い意味こそ真実の意味であり、それを知ることができる教えこそが「密教」であると述べています。それに対して世界や現象の表面に現れている意味を真実と理解している教えのことを「顕教(けんぎょう)」と呼んでいます。真言宗は、真言陀羅尼集(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅集(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称されます。空海は著作「秘密曼荼羅十住心論」「秘蔵宝鑰」で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一定の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込みました。最終的には顕教と比べて密教(真言密教)の優位性、または顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説きました。

禅宗(ぜんしゅう)

禅宗とは、座禅を主な修行方法としている仏教の宗派の1つです。

一般的には、宗派名ではなく、禅を説くことの宗派を総称して、禅宗と呼んでいます。仏心宗、達磨宗とも呼ばれており、中国で誕生し栄えました。日本には6世紀前半(鎌倉時代)に伝わったようです。我が国の禅宗は、臨済宗(りんざいしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)の3つです。これらを統合し、日本では禅宗と呼んでいます。禅宗は座禅を中心にした修行が特徴です。修行をすることで、人の本性が現れ、悟りが得られるとされています。日本に伝わった禅は、「悟りとは、何かのきっかけで突然啓かれる」という考えが根底にあるようです。この背景には、誰もが仏の心を持っているという思想があります。禅とは心の別名です。1つの思いに偏らない無念の心境を禅定(心身ともに動揺することがなくなった状態)と呼んでいます。心には本来、清浄なほとけが宿っているされていますが、私たちの心には常に曇りが生じています。禅により、曇りを払い、迷いを断ち切る。これが禅宗の考え方です。

曹洞宗(そうとうしゅう)

曹洞宗は日本や中国における禅宗の一派で、今から1200年ほど前の中国・唐の時代に洞山良价らによって開かれました。

曹洞宗は「曹渓慧能」と「洞山良价」とい二人の僧の名前からきていると言われています。日本には道元によって今から800年前に中国からもたらされました。やはり同じ頃栄西によって日本に移入された「臨済宗」と共に日本の禅宗の一大源流になりました。臨済宗は時の政権に支持され、中央都市の武家などにもてはやされたのに対して、曹洞宗は地方の武士や農民などに広まっていったと言われています。大本山は 福井県にある永平寺と神奈川県にある総持寺です。同じ禅宗である臨済宗は「公案」と呼ばれる命題を座禅をする時に与えられ、それの答えを求めるために座禅をするというのに対して曹洞宗ではただひたすら悟りの境地を得るために座禅をするという違いがあります。また開祖・道元の書いた「正法眼蔵」は日本思想を代表する書として知られ、海外にも良く知られています。曹洞宗のお寺の本尊は釈迦如来とされています。自宅の仏壇にも本尊に釈迦如来を祀ることがほとんどです。日々のお勤めでは「南無釈迦牟尼仏」と唱えます。お寺でよく唱えられるお経は」「般若心経」、「観音経」、「寿量品」などです。

葬儀用語集:た行

弔電 (ちょうでん)

「弔電」とは弔意を表すお悔みの言葉を伝える電報です。

  • 訃報を受けた際に、遠方であったり、仕事などの都合がつかなかったりして、お通夜やご葬儀にかけつけることができない場合、弔電を送ります。電報は局番なしの115でかけ、宛名は普通喪主にします。
天台宗(てんだいしゅう)

天台宗は仏教の一派で、6世紀の中国の高僧である智顗(ちぎ)が高祖とされています。

智顗は「妙法蓮華経」という経典に釈尊の「全ての人に悟りの世界を」という教えが明確に述べられていることに注目して、仏教全体の教義を体系化しました。そして、智顗は晩年を杭州の南の天台山で過ごして弟子の要請に努めたので、「天台大師」と諡され、またその教学は天台教と呼ばれたのです。天台宗は、延暦25年(806年)に伝教大師最澄によって、日本に伝えられました。

天台宗の教えは、大きく言うと以下の4点です。1)全ての人は仏の子供です(悉有仏性)。これは、悟りへの道は明らかに存在するので、悟りに至る種は生まれながらにして私たちの心に植え付けられているということです。2)悟りに至る方法は全ての人に開放されています。これは、真実を探し求める心(道心)があれば、そのままそれが悟りに至る道であるということです。3)まず自分自身が仏であることに目覚める必要があります。このため、天台宗ではお授戒、つまり我が身に仏さまをお迎えすることを奨めています。4)一隅を照らす運動。これは、まず自分自身を輝いた存在とし、その輝きが周りも照らすということです。

友引(ともびき)

友引は、六曜の一つで、友引に当たる日は午前中・夕刻・夜は吉ですが、昼は凶とされます。

本来の意味は「勝負がつかない」なのですが、日本では「友を引く」という名称から、文字にのっとって縁起を担ぎ、この日にご葬儀を出すと他人の死を誘うといって嫌う傾向があります。

このご葬儀を忌む風習は江戸時代末期に六曜の考え方が浸透して以降に生まれたようです。

しかし、近年ではそれは「迷信」ということで、あまり気にしない方も増えているそうです。

横浜の火葬場では、友引の日は市内の4つの火葬場が持ち回りで休みを決めているので、横浜市内のどこかの火葬場は開いているそうです。各自治体によって友引に火葬場を休むかどうかは様々のようです。「友引に葬儀をしてはいけないのでしょうか?」とおっしゃる方もいらっしゃるのですが、もし気にされる方が家族や親戚にいる場合には、ご葬儀の日程をずらすというのも選択肢の一つとして考えておくべきでしょう。

その一方では、迷信の一つに過ぎないと特に気にすることなくご葬儀をされる方も増えてきています。友引の日に告別式を避けられる方も、お通夜には気にされず行う場合がほとんどのようです。ちなみに、仏滅や大安にも特に気にすることなくご葬儀を執り行うことは可能です。

葬儀用語集:な行

日蓮宗(にちれんしゅう)

日蓮宗とは、鎌倉時代の僧侶、日蓮の教義を宗とする仏教の一派です。

妙法蓮華経を経典とするため、日蓮法華宗とも称される。 概要として、鎌倉時代、世の中は末法の時代を迎えていて、その理由として鎌倉時代に端を発する武家社会の萌芽と台頭、北条市と天皇・上皇による権力闘争などで社会は混乱し、荒れに荒れていました。

日蓮宗は、そんな鎌倉時代に法華経二十八品と特にその訳書である妙法蓮華経こそ釈迦が衆生救済の為に説いた真実の教えであり、末法の世を正すものであると日蓮が説いた宗派で、教義に当時の世相が見られる。 成立後、日蓮宗内では勝劣派・一致派などの無数の諸宗派が分脈していたが、それら諸宗派を包含し統一することで成立したのが近世における日蓮宗です。 そのため、総本山身延山久遠時の下に五つの大本山と四十以上の本山が含まれていて、日蓮宗は妙法蓮華経を経典とする宗教法人の中では最大宗派となっています。

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)

日蓮正宗は日本における日蓮宗系の宗派のひとつで、今から750年ほど前に日蓮の弟子の日興が開いた宗派です。

総本山は静岡県富士宮市にある大石寺です。末寺は全国に700はあると言われ、信者は全国各地にいます。信者の集いは「法華講」と呼ばれており、信者は日蓮正宗の寺院に参詣し、僧侶の法話を聞いたり、信者間の体験などを通じて自らの信仰を深めるようにすることが求められている事など信者間の団結力が強い宗派であるというのも特徴です。日蓮正宗は伝統ある宗派なのですが、かつては新興宗教団体である創価学会も傘下に置いていました。ただし、仏法の解釈などから現在では袂を分けています。また、日蓮宗とも法華経の解釈の違いなどからあまり交流はないようです。日蓮正宗の僧侶へ修行は12歳からなることが可能で、総本山大石寺などで数年間の修行の後に各地の日蓮正宗の寺院に派遣されます。最上位の日蓮正宗を管轄する僧は「法主」と呼ばれ、非常に強い権限を持っています。現在、日蓮正宗は日本国外を飛び出し、海外にまでそのネットワークを広めています。

納棺師(のうかんし)

納棺師(のうかんし)とは、故人様の体を清め、死装束を着せ、きれいに化粧して故人様を棺に納める専門職です。

納棺師(のうかんし)とは、故人様の体を清め、死装束を着せ、きれいに化粧して故人様を棺に納める専門職です。本木雅弘さんが納棺師を演じた映画『おくりびと』で、その美しい所作が注目され、納棺師という職業も世間に知られるようになりました。

納棺師の仕事は、失敗が許されない高度な技術が必要なうえ、去りゆく人を旅立たせご遺族の精神的な負担の軽減を図るなど、作法と精神性が求められる仕事です。

納骨堂(のうこつどう)

納骨堂(のうこつどう)は、遺骨を入れた遺壺をご安置しておく建物のこと。

納骨堂(のうこつどう)は、遺骨を入れた遺壺をご安置しておく建物のこと。 日本では、主な納骨堂としてが三種類あります。

  1. 寺院納骨堂 寺院が運営・管理する納骨堂です。 寺院内に納骨堂が設けられていますが、檀家である必要がないことが多いです。
  2. 公営納骨堂 各都道府県や市町村、自治体が運営・管理する納骨堂です。 基本的には仏教形式の納骨ですが、神道形式を用意している公営の納骨堂も一部にはあります。
  3. 民営納骨堂 販売を民会会社が行い、運営が宗教法人・財団法人・社団法人など公益性のある法人が行っている納骨堂。 宗旨宗派にしばられることが少ないです。

葬儀用語集:は行

箸渡し(はしわたし)

箸渡しとは、ご葬儀の収骨の際の作法です。

箸渡しとは、ご葬儀の収骨の際の作法です。実際の箸渡しは、その地域や宗旨宗派によって異なることがあるので、火葬場の職員に従うこととなります。故人様の骨片を箸から箸へ渡す作法から箸渡しと言われます。男女で左が男性、女性が右を同時に拾い上げる場合や、ふたりで同時に骨片を箸でつかむなど、作法はいくつかあります。

また拾いきれなかった骨片については、そのエリアの共同墓地に埋葬されたりします。遺壺は、部分収骨がおこなわれる西日本では小さく、すべての骨を収骨する東日本では大きい。沖縄では、石製、陶器製の厨子甕と呼ばれる遺壺が使用されています。

祓除の儀(ふつじょのぎ)

祓除の儀(ふつじょのぎ)とは、神式のご葬儀で出棺のあとに、関係者全員を祓い清める儀式のことです。

祓除の儀(ふつじょのぎ)とは、神式のご葬儀で出棺のあとに、関係者全員を祓い清める儀式のことです。 後祓いの儀(あとばらいのぎ)と呼ばれることもあります。

分骨(ぶんこつ)

分骨とは、遺骨を別々の場所に分けて納骨するということです。

代々受け継がれている先祖の墓がある場所から、遠くへ住んでいる場合、お墓参りに行く機会はなかなかありません。よって、近年では分骨をすることで、近場にもお墓をつくり、分納するスタイルが増えているようです。宗教的には分骨することは問題ないとされています。但し、分骨すると霊魂が分裂し、成仏できなくなるという考えもあるので注意が必要です。事前にご自分の宗派で分骨が可能なのか調べておくと良いでしょう。分骨には2種類の方法があります。

①:納骨前に分骨する方法。
②:納骨後に分骨する方法。

①の場合は火葬後に分骨されることが多く、②の方法よりも楽に行うことが可能です。

しかし、一旦納骨した後に行う②の方法では、様々な手続きが必要になるため、面倒になります。具体的には墓地の管理社に問い合わせ、分骨が可能であるという証明書を発行してもらいます。その後、遺骨を取り出し、分骨し、証明書を管理者に提出しましょう。これ分骨の手続きは終わりです。したがって、分骨の予定がある方は、納骨前に分骨されることをオススメします。

葬儀用語集:ま行

埋火葬許可証(まいかそうきょかしょう)

埋火葬許可証とは、人が死亡した後に「火葬および埋葬をしても良い」という許可を得るために役所から発行してもらう書類の事です。

同一の書類なのですが便宜上「火葬許可証」「埋葬許可証」と分けて考える場合もあります。通常人が病気などで死亡した後、立ち会った医師が作成してくれる「死亡診断書」を元に、「死亡届」というものを役所に提出します。すると役所は不審な点がなければ「火葬許可証」というものを発行してくれます。この書類を拠り所にご葬儀の後、遺体を火葬することができるのです。そして、火葬後に火葬場から火葬済みであるという証印を「火葬許可証」にしてもらえば、それがそのまま「埋葬許可書」になります。「埋葬許可書」は、四十九日の法要等が終わった後に寺院あるいは霊園などに骨を納める際に必要になります。

特にまだ四十九日の法要等が終わっても埋葬する墓などが決まっておらず、墓が決まり次第埋葬するといった時にはこの埋葬許可書は紛失していないように注意したいものです。なお原則的に「埋火葬許可証」は再発行はしてもらえません。また埋葬後も五年間は埋火葬許可証は保存しておく義務が法律で定められていますので、取り扱いには注意したいものです。

枕飾り (まくらかざり)

遺体の枕元に置く飾りのことです。

仏教では一般的に、白木の台や小さな机に白い布をかけ、香炉、燭台、花立の三具足を置きます。この他に鈴、水を入れた茶碗、枕団子などを飾り、花立てには樒(しきみ)を差すなどします。香炉には線香を、燭台には蝋燭を立てます。神式では水やお神酒、塩や米、榊を飾り、キリスト教では枕飾りをする習慣はありませんが、カトリックではロザリオ、聖書、聖歌集などを置き、プロテスタントでは、十字架、燭台、聖書、讃美歌集などを置くのが一般的です。

廻し焼香(まわししょうこう)

参列者がその場で行う焼香の仕方を廻し焼香と言います。

お盆などに乗せられた香炉が回ってきたら、その場で一礼して焼香、合掌して隣の人に廻します。 流れとしては、香炉が自分の所へ回ってきたら、先ず軽く会釈をして受け取ります。

そして、香炉を自分の前に置き祭壇に向かって一礼し、焼香を行います。香炉を行う場合、右手に持った数珠を左手に持ち替え、親指と人差し指、中指の三本で抹香をつまみ、頭を少し下げて額の高さまで抹香をおしいただきます。その後、擦るような感覚で静かに香炉に抹香を落とし入れます。その後、数珠を両手に掛け再び合掌礼拝を行います。

そして、隣の方へ両手で香炉を渡します。

(数珠の持ち方に関しても宗派によって違いはありますが、一般の弔問の方は、さほど神経質 になる必要はありません。 自分の宗派の形、もしくはそれらしい形であれば問題ありません)

三具足 (みつぐそく)

花瓶、香炉、燭台の三種類の仏具のことです。

枕飾りやお仏壇の中に配置される最も基本となる仏具のことであり、 花立てと燭台を対で置く場合は五具足となります。 また、地域や宗派によっては配置方法も異なりますし、四具足、七具足、八具足など数が違う場合もあります。

喪主(もしゅ)

喪主とは、遺族の代表者であり、ご葬儀・お葬式の主催者となります。

ご葬儀を行うにあたり、残された遺族の中から喪主を決めることになります。喪主とは、遺族の代表者であり、ご葬儀・お葬式の主催者となります。弔問客を受けるのが主な務めとなります。喪主の選び方は、故人様ともっとも縁の深い人を選ぶのが通例です。配偶者がいる場合は配偶者、配偶者が亡くなっている場合は、長男、または同居していた子供が喪主となります。優先順位は、配偶者、長男・長女、故人様と同居していた子供、故人様の親戚といった感じになります。喪主がご葬儀・お葬式を通じて行う主な仕事は、僧侶や弔問客への対応です。ご葬儀の実務的な仕事は、葬儀社や世話役が行います。喪主の仕事を具体的に挙げると、日時の決定、親族・知人・僧侶への連絡、備品・返礼品・料理の手配、僧侶・弔問客の接待、お通夜・告別式での挨拶、金銭の管理、ご葬儀終了後の後片付け・御礼などです。

喪中はがき(もちゅうはがき)

喪中はがきは、一年以内に近親者にご不幸があった場合に、故人様に対する生前の感謝を示すことと、「喪に服していますので、慶びの年始挨拶や年賀状を送ることを控えさせていただきます(年賀欠礼)」ということを、前もって年賀状を送っていただけそうな相手にその旨を通知するために出す挨拶状のことです。

自分が喪中であることや、自分の家に不幸があったことを知らせるための訃報のはがきではありませんので、気をつけましょう。喪中はがきは、年賀状の欠礼挨拶となるので、年賀状を投函するまでに出すのが礼儀です。先方が年賀状の用意を始める前に手元に届くように、11月中か、遅くても12月初旬ごろまでには届くように出すのがマナーです。12月中旬になって喪中となった人は、あえて喪中はがきを出さずに年明けから寒中見舞いで12月に急に喪中になったことと、年賀状をいただいたお礼を兼ねて出すほうが良いでしょう。喪中でも年賀状を受け取るのは、実はマナー違反ではありません。ですので、年賀状を受け取りたい場合は、例えば、喪中はがきの文面に「年賀状をお待ちしています」や、「例年通り、近況をお知らせください」などと書き添えてみてはいかがでしょうか。また、最近では喪中はがきの印刷サービスの文例にも使用されていますので、そちらの方を選んでみるのも良いと思います。

喪服(もふく)

喪服とは、ご葬儀や四十九日、法事の時に着る黒い衣装のことです。

喪服と言っても色々な種類があるのですが、男性だとスーツタイプ、女性だとスカートタイプが一般的です。喪服を着る女性は真珠などのアクセサリーを一連のみ着ける事ができます。二連以上の物は「悲しみが繰り返す」と言われ、着けてはいけないものとなっています。ちなみに、江戸時代までは白の衣装が一般的だったようですが、時代の流れと共に黒い衣装に変化していったそうです。ちなみにキリスト教の宗派では、ベールで女性の顔を覆うのが喪服の正装とされています。縁取りの幅は、近親者は太く、縁が遠いほど細くなります。江戸時代までは、喪服は喪主に限らず白が一般的でした。月日が経つにつれ、上流階級において黒が喪の色として認識され、次第に明治期を通じて黒に変わっていきました。和服では、男性は紋付地黒の羽織袴、女性は黒の紋付が着用されるようになりました。履物なのですが、草履や雪駄、革靴やパンプスの代わりになる履物は提示されていませんが、エラスティックシューズのように靴紐がなく、靴紐があるように見える革靴やパンプスを選ぶ方法は存在しますがまだ難しいです。

葬儀用語集:や行

遺言 (ゆいごん)

法律的な効力を持つ故人様の最後の意思表示です。

遺言では「遺産の配分変更」、「後見人の指定」、「非嫡出子の認知」といったことが可能です。

遺言書には、自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言の三つのやり方があります。

遺言には専門的な知識や手続きが必要になりますので専門家にご相談されるケースが多いです。なお、法律用語では「いごん」といいます。

湯灌 (ゆかん)

ご納棺の前に故人様を清める儀式のことです。

ご納棺の前に逆さ水などで体を清めることをいいます。愛する故人様が旅立つ前に綺麗にしてあげたいと考える遺族は少なくありません。

葬儀用語集:ら行

臨済宗(りんざいしゅう)

臨済宗は日本や中国における禅宗の一派で、今から1200年ほど前の中国・唐の時代に臨済義玄(りんざいぎげん)という僧によって開かれました。

日本には栄西によって今から800年前に中国からもたらされ、当時の鎌倉幕府や後の室町幕府からも厚い支持を受けて繁栄しました。その後、一時的に衰退したものの江戸時代になり、白隠によって再興がなされ、建仁寺派や東福寺派など様々な分派を持ち現在に至ります。同じ禅宗である曹洞宗がただひたすら悟りの境地を得るために座禅をするのに対して、臨済宗は「公案」と呼ばれる仏教思想上の命題を座禅をする時に与えられ、それの答えを求めるために座禅をするという違いがあります。臨済宗でよく読まれる経典は「開経偈」、「三帰戒」、「般若心経」などです。また本来的には臨済宗のお寺の本尊は釈迦如来とされていますが、お寺によっては阿弥陀如来や観世音菩薩などもあり色々です。自宅に臨済宗の仏壇を祀る際には菩提寺ともご相談して本尊等を決めると良いでしょう。日々のお勤めでは臨済宗では「南無釈迦牟尼仏」と唱えますが、阿弥陀仏が本尊の臨済宗のお寺では浄土真宗のように「南無阿弥陀仏」と唱えたり一様ではないようです。

霊安室 (れいあんしつ)

病院や警察、葬儀社などで、遺体を一時安置する場所のことを霊安室と言います。

病院の霊安室は職員がお別れをする短期間のご安置場所です。警察の霊安室は検視や検案を行うことを目的としています。葬儀社の霊安室はご葬儀を行うまでの仮安置所となります。

六文銭(ろくもんせん)

六文銭とは、冥銭の一種であり、死者が三途の川を渡るときに使用する渡し賃のことを言います。

通常は死装束の1つとして捉えられ、首に掛ける頭陀袋(ずだぶくろ)の中に入れます。言い伝えでは、三途の川の畔には衣領樹(えりょうじゅ)があります。そこに奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)という老人がいるそうです。三途の川を前にして、六文銭を持たない死者がやってくると、衣類を剥ぎ取ってしまいます。このようなことにならぬよう、故人様に六文銭を持たせるという習慣ができました。六文銭のような冥銭(めいせん)という習慣は、日本だけではなく、様々な国々で行われています。霊界に行くためには紙幣が必要である価値観念が伴い、このような文化が生まれたようです。

本来は、本物の貨幣を使用していましたが、火葬文化のある日本では、炉内に金属類を入れることが禁じられたため、六文銭を模して印刷した紙が代わりに使用されています。頭陀袋に入れる六文銭ですが、地方によって様々です。紙幣だけでなく、握り飯を入れたり、近しい人の髪の毛や爪、たばこなどを入れる場合もあります。ご自分の住まわれている地域では、どのような物を入れる習慣があるか、事前に把握しておくと良いでしょう。

葬儀用語集:わ・を・ん行

別れ花(わかればな)

出棺前に、柩に入れて故人様のまわりを飾る花のことです。

遺族、参列者で行います。また棺には故人様の愛用の遺品を入れる場合もあります。