ご葬儀用語集

ご葬儀用語集:あ行

後飾り(あとかざり)

ご葬儀が滞りなく終了し、ご遺族が火葬場からご自宅に戻り故人様を供養する 四十九日法要が行われる忌明けまでの間、ご遺骨をご安置する祭壇のことを、 「後飾祭壇(あとかざりさいだん)」といいます。

この祭壇は四十九日の満中陰(まんちゅういん)まで飾る祭壇ということで「中陰壇(ちゅういんだん)」ともいわれています。後飾りをする場所はご自宅に仏壇がある場合は、仏壇の前に仏壇が無い場合には、部屋の北、もしくは西に置くのがしきたりです。

祭壇は二段か三段の小さな机などに白い布をかけて祭壇を作り、この出来上がった祭壇の上の段にご遺骨をご安置し、遺影や位牌、香炉、燭台(しょくだい)、線香、お供え物やお供えの花、おりんなどは下の段に置くようにします。

四十九日の忌明けまでの間、毎日ろうそくを灯し、線香を絶やすことなくたき、故人様を供養します。

ご葬儀に出席することができなかった弔問客なども、この後飾りの祭壇にお参りすることになります。四十九日の法要が終わるとこの後飾りの祭壇は必要なくなりますので、不要になった祭壇はご遺族の手で処分していただいても問題ありません。

地域指定の分別ゴミとして処分されても問題はありませんが、ゴミとして処分することにどうしても抵抗がある場合は、弊社にご連絡いただければ、無料でお引き取りに伺います。また、四十九日まで供養してた白位牌は、菩提寺に返し新たに漆塗りの位牌を準備し、ご住職に「魂入れ」をしていただき、その後は仏壇に入れ、供養します。

ご葬儀をキリスト教式で行った場合も後飾りを用意して、ご遺骨をご安置して、十字架などを飾ります。ご葬儀を神式で行った場合は、白い布はかけずに、白木の八足の壇を利用することもあります。 その場合、火葬場から家に帰り、「帰家(きか)祭」 を営むので、そのための祭壇である「仮霊舎(かりれいしゃ)」を設けます。白木の案(あん)で祭壇をつくり、中央に遺影、遺骨、霊璽(れいじ)(位牌と同じ)を飾り、お供え(洗米・塩・水)、榊、灯明などを飾ります。本来、火葬後、すぐに埋葬するのですが、最近は仏教の忌明けと同様に、五十日祭のころに埋葬することが多くなりました。

お仏壇の中にはご遺骨はご安置しない考え方から一時的に、ご遺骨をご安置する棚として広く用いられています。葬儀社が用意してくれる場合が多く、ご葬儀プランの中に含まれている場合や、オプションとして選択する場合があります。

後祓いの儀(あとばらいのぎ)

神道では、「神が死を嫌う」という理由で、このような儀式が行われるようになったようです。死は不浄なもの、けがれとみなされるので、神社でご葬儀を行うこともありません。そのような理由からか、故人様は肉体を離れて祖先の霊とともに留まって、一家の氏神(守護神)となるとされています。このため、神式葬儀では「葬場祭」と呼ばれて「死のけがれ」を清め、霊の祖先の霊として祭る必要があります。

神道のご葬儀は、「通夜祭」、「遷零祭」、「神葬祭」、「出棺祭」、「後祓いの儀」、「火葬祭」、「帰家祭」という順序で行われます。神式における出棺の時に行うのが出棺祭ですが、近代ではわりと省略されることが多くなっていて、その際は葬場祭の祭詞の中で出棺の祭詞も奏上されるようになっています。

出棺が終わると残った人は祭壇を片付けたり、手水の儀を行ったりして、神職にお祓いをしてもらいます。これが後祓いの儀ということになります。祭壇を片付け、家の内外を清掃してお清めします。これが後祓いの儀となります。

現在の後祓いの儀の実際は次のようになります。関係者はまず手水の儀を行い、小案の前に座ります。神職の祓詞でお祓いが始まります。仮霊舎から部屋、家の内外へと後祓いの儀を行います。

仮霊舎のない場合は、遺骨が戻ってくるまでに祭壇を準備しておきます。同時に火葬場から戻る親族や関係者のために、手水の儀の準備を玄関口などに準備しておきます。火葬場から戻ってきた人たちは、建物に入る前に手水の儀を行います。入り口で柄杓から水を手にかけてお清めをします。両手を清めたら塩を用いて身体を清めます。

他のご葬儀とは違い、死者の不浄を祓い清めて浄化することが基本となっているので、細かい手順や取り決めがありますので、神式葬儀に親しみがない場合に葬列するときは、一度、どのようなものなのかを確認しておきましょう。

遺影(いえい)

遺影とは、物故者を偲ぶために作られる写真、もしくは自画像です。

通常はご葬儀の時に飾られまずが、自宅では床の間に代々飾られることが多く、通常は胸から上の肖像画で、特に写真の場合、スナップ写真から本人だけを抜き取ることができます。 通常は四つ切というサイズで引き伸ばされ、社葬や団体葬などの大きなご葬儀の時はもっと大きなサイズに引き伸ばされまず。ご葬儀の後は、代々のご先祖と共に仏間に飾られます。

従来はフレームは漆塗りの黒、写真は着物を着たモノクロのものを用いる事が多かったのですが、葬儀会場に冷たい印象を与えるといった理由から、フレームは自由になり、カラー写真が用いられることが多くなりました。本来は自分の気に入った写真を用意すべきですが、大半が旅行や結婚式などに参加した時の集合写真などからの拡大・修正が多く、デジタルカメラなどのデータで残された場合、家族が見つけることも困難であることから、後世に残す重要な写真として確実に保存する必要性があります。

アメリカなどでは、遺体保存の方法が発達しているために、ご葬儀の場面では棺をオープンすることから特別に遺影写真を飾る習慣はありません。近年では、一部の葬儀社がサービスの一環として、パソコンを用いて遺影の顔の輪郭などに調整を施したり、衣服を変えたりすることもあります。 さらに画像加工会社の中には、ご葬儀で使う写真を事前に預かって保管するサービスを始めた企業もあります。 写真の遺影の他、電飾写真、液晶遺影などの新規な遺影も見受けられるようになりました。

さらなる技術の発展によって今後の遺影の携帯も変化を遂げると予想されます。例えば、モーションポートレートやライブポートレートのような動画のポートレートを遺影に使う動きも予想されます。2011年1月より、生前に自分の気に入った遺影写真をWEBから預け、それをご葬儀で使用される仕組みがスタートしました。2011年2月に明るい遺影写真展と題して東京・大阪・福岡で写真500展あまりが展示され、従来の照明写真的遺影から脱却した自然で本人らしい写真の推奨が行われました。

遺骨(いこつ)

遺骨とは死者の骨のことをいいます。

遺骨という概念には事故や事件などにより発見されず自然の中で白骨化したものも含みますが、多くの場合考えられるのが、病気などで亡くなった後に、ご葬儀をとり行いその後火葬場へ行き、荼毘に付した後の状態の骨を指します。

こうした遺骨は親族などにより骨壺に収められます。これを「骨揚げ」とか「収骨」などといいます。地域などにより、異なりますが多くの地域では血縁の濃い方から順に2人一組でひとつづつ骨揚げをすることが多いです。なので同じ食べ物を2人の箸で奪い合う行為は骨揚げを連想させるとして縁起が悪く忌避されます。

骨壷に収められた遺骨は、通常は自宅にご安置(後飾り壇など)または寺院に預けられます。そして墓地または納骨堂に仏式の場合は四十九日の法要が終わった後、神式の場合は五十日祭までに納めるのが一般的です。これを「納骨」といいます。

なお、遺骨を墓に埋葬せず、自宅に飾ったままにしておくというのは法的には全く問題がありません。何日後までに埋葬すべきだというのは法的にも文化的にも確たる根拠はないです。

まだ死んだ事に対して気持ちの整理がついていないとか、納骨するまでに会わせたい人がいるとか、まだ埋葬する墓地や納骨堂が手配できていないなど様々な理由で納骨する時期が見送られるケースも多いかと思います。

近年では「手元供養」という事であえて遺骨を納骨しないという人も増えています。

ただし、「墓地、埋葬等に関する法律」という法律により、墓地以外の埋葬又は火葬場以外の火葬を禁止する項目があります。なので、自宅に保管はできても墓地以外の例えば故人様の思い出の場所に遺骨を納めたいというのはできません。

また近年では遺骨を細かくし加工して故人様を偲ぶという新しい方法もできました。例えばエターナルプレートといって故人様の遺骨を混ぜて加工して、そこに故人様の名前や生没年月日を記して作った石板を自宅にご安置して供養したり、遺骨を混ぜた小さなプレートをペンダント状にして常に故人様と一緒にいる事ができるようにしたりと様々な方法で供養するパターンが現れました。

これら遺骨を加工するという行為は法的には問題ないものとして解釈されていますので、今後もこうしたサービスを行う会社も依頼主も増えてくるものと思われます。

いずれにしても、故人様との思い出を大切にするよう遺骨も丁重に扱いたいものです。

遺族(いぞく)

遺族とは、死亡した者の家族・親族。

物故者の両親、配偶者、子、兄弟姉妹を指します。 一般的には死亡時に死者によって生計を維持していた者とすることが多く、法的に婚姻関係になり事実婚の配偶者を含めることが多いです。

喪主は、ご葬儀の主催者のことをいいます。 ご葬儀後の物故者の供養の主催者とされる人が努めます。ほとんどの場合は、家長に相当する親族が喪主を勤めます。 物故者の配偶者か子が喪主を努めることが多く、または配偶者や子がいない若い独身者の場合は、親が喪主を努めることが多いです。

物故者の子が独立して生計を立てておらず、物故者の親が健全な場合は、親が喪主を努めることが多いですが、物故者の子が喪主を努めた上で別の成年親族を後見人とする場合もあります。

遺族の代表者として弔問客への応対を努めることが多く、実際のご葬儀の運営や進行は葬儀委員長や葬儀会社が努めます。家制度が存在した前々の日本では戸主が喪主を努めました。

遺体(いたい)

遺体は死者と特別な関係にあった遺族・知人などにとっての死体の意となります。

遺体の原義は「遺された身体」です。死体は「死者の身体」の意味です。死体が一般的な表現であるのに対して、遺体は死者と特別な関係にあった遺族・知人などにとっての死体の意となります。遺体に対して特別な感情があり、遺体の尊厳が極めて大切とされています。

死体に対して人間性を込めて使うのが「遺体」です。

病院で亡くなられた場合、病院側が死化粧を整え病室をでます。その後、病院の霊安室に移動したり、そのまま自宅へ運ばれます。自宅で遺体のご安置が難しい場合は、葬儀社が保有する保管施設でご安置することになります。

病院からの遺体のご搬送は、病院と提携をしている葬儀社へ依頼する場合と、ご自身で葬儀社を手配することのどちらでも可能です。病院からの葬儀社の紹介を断ることも決して失礼にはあたりません。

遺体の保存について心配される方もいらっしゃるかと思います。例えば、年末年始は火葬場が休日に入り、休日明けの混雑なども考慮すると、数日間~1週間ほど待機状態になることも考えられます。また最近は東京都内を中心に関東圏では式場が混みあっている場合もあります。

死亡後、迅速にドライアイスで遺体を冷やすなどの適切な処置を行い、保冷施設を利用するなどすれば、数日から1週間ほどの遺体の保管は可能です。もしも事情により保管期間がそれ以上に延びてしまう場合には、エンバーミングを施すことを考えなると良いでしょう。

一般葬(いっぱんそう)

ご家族やご親族、親しい方々だけでなく、会葬者(会社関係やご友人)の方にもご参列してご葬儀を行うお葬式です。

一般葬とは、宗教儀礼に重きを置くご葬儀の形式で、ご家族やご親族、親しい方々だけでなく、会葬者(会社関係やご友人)の方にもご参列してご葬儀を行う、まさに先祖代々行われてきたご葬儀の形式です。ただ最近では、家族葬というご葬儀が一般的に浸透してきたこともあり、家族葬よりもご参列者の方が多いという規模的な意味合いを含めて一般葬と呼ばれることがあります。都典礼では、一般葬として、葬儀儀礼を中心とした従来のスタイルを踏襲しつつ、綺麗なお花に囲まれてお見送りするなど現代的なスタイルでの一般葬のご提案も可能です。

一日葬(いちにちそう)

一日葬(ワンデーセレモニーやワンデー葬儀と呼ぶ場合もあります)とは、言葉通り一日で火葬まで行うご葬儀の儀式です。

従来の葬儀形式にとらわれず、葬儀前夜のお通夜は行わず、ご火葬の日にご遺族や親しい方々にお集まりいただき告別式を行います。火葬式より、よりゆっくりと故人様とお別れできるだけでなく、ご遺族や遠方から参列する方々の精神的な負担や経済的な負担も軽減することができ、首都圏を中心に一日葬が選ばれることも多くなっています。

位牌(いはい)

位牌(いはい)とは、死者の祭祀のため、死者の戒名などを記した木の板をいいます。

儀に用いる白木の位牌は、四十九日までの仮の位牌です。身近な人が亡くなったときは、四十九日法要までに漆塗りの本位牌に作り替えなくてはなりません。戒名の文字入れに2週間位かかりますので、早めに仏壇店に依頼しておくことが大切です。

白木の位牌は、四十九日法要の時に菩提寺に納め、新しく作った本位牌に住職から魂入れをしていただきます。お寺で四十九日法要を営むときは、位牌を持参して魂入れをお願いします。魂入れをしていただくことによって、ただの商品としての位牌から、魂の入った真の位牌に変わります。

四十九日法要を終えた後、位牌は仏壇にご安置しますので、仏壇のない家は四十九日までに仏壇の手配が必要となります。位牌は故人様そのものと考えられています。位牌の形は宗派に関係がないので、好みの形を選ぶことができます。すでに位牌がある場合は同じ形で揃えることもありますが、故人様にふさわしいものを選ぶとよいでしょう。

位牌の大きさは、仏壇の内部の作りに合わせることが大切です。初めて位牌をつくる場合は、先にご安置する仏壇を決めてから考えたほうがよいでしょう。先祖の位牌がある場合は、同じ大きさか、少し小さい位牌を選ぶのが一般的です。位牌を選ぶ場合、仏壇にご安置するご本尊の高さより小さい位牌を選びます。

夫婦の位牌は、同じ大きさを選ぶのが一般的です。位牌は本来一人ずつつくるものですが、夫婦の場合、一つの位牌に二人の戒名を連ねて入れることができます。位牌には、戒名と亡くなった没年月日、俗名、行年(享年)を入れます。戒名の文字は昔の漢字が使われることもありますので、白木の位牌の文字をそのまま正確に仏壇店に伝えることが重要です。

位牌の戒名入れの手法には、機械彫り文字と手書き文字があります。機械彫りの方がより整った文字を入れることができ、手書きの場合は味わいのある文字を入れることができます。位牌の戒名入れの手法には宗派による決まりごとはありませんので、どちらか好みの方を選ぶことができます。すでに位牌がある場合は同じように揃えることが多いです。

位牌は故人様そのものと考えられていますので、丁寧に戒名の文字を入れることが重要です。位牌を購入する時は、文字入れサービスとか、文字彫り無料などの言葉に惑わされずに、真心を込めて戒名の文字を入れてくれる仏壇店を探すことも大切です。位牌には、漆を塗り金箔や金粉などで飾った塗り位牌と、黒檀や紫檀などで作られた唐木位牌があります。

仏壇店以外でも最近は、葬儀社や石材店などで位牌を扱っているところもありますが、やはり専門知識を持った信頼できる仏壇店で購入するのが安心です。

遺産 (いさん)

遺産とは、亡くなった方がご存命中に所有されていた財産その他の有形的・無形的価値のことです。

民法第896条本文・第906条では遺産は被相続人(亡くなった方)に属した一切の権利義務と定められています。すなわち、民法ではプラスの遺産、例えば現金、預貯金、土地、家屋、著作権、受取人が本人の生命保険だけでなく、マイナスの財産、例えば亡くなった方が負っていた借金や住宅ローンも遺産とされているのです。

相続が発生した後、つまりある方が亡くなった後、遺産は相続人により承認または放棄(民法第938条)が行われますが、承認にはさらに単純承認(民法第920条)と限定承認(民法第922条)があります。したがって例えば親御さんが亡くなり借金や住宅ローンがあることが分かり払うことができない場合には、ご自身のために相続の開始があったことを知った時から3ケ月以内に、相続を放棄するか限定承認をする必要があります(民法第915条第1項本文)。

しかし、相続人が数人いるときは「限定承認は、共同相続人の全員が共同してのみ」行うことができます(民法第923条)。限定承認をしようとするときは、自己のために相続の開始があったことを知った時から3ケ月以内に、相続財産の目録を作成して家庭裁判所に提出し、限定承認する旨を申述しなければなりません(民法第925条)。相続放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければなりません(民法第938条)。

相続人が複数いる場合には、遺産は相続分の規定又は遺産分割の規定(民法第906条~第914条)によって分配されますが、相続分にはさらに法定相続分(民法第900条)と指定相続分(第902条)があります。ただし、墓地、仏壇、死亡退職金、受取人が指定されている生命保険は遺産分割の対象とはなりません(民法第896条但し書き・第897条)。

なお、遺産分割は「遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮して」行わなければなりません(民法第906条) 。そして、遺産分割について「共同相続人間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、各共同相続人は、その分割を家庭裁判所に請求することができる」(民法第907条第2項)のです。これに対して、相続人が現れない場合には、特別縁故者に対する相続財産の分与(民法第958条の3)が行われた後で、残りの遺産は国庫に帰属することになります(民法第959条)。

忌払い(いみばらい)

忌払いとは、もともとの意味は、仏教において四十九日の法要が過ぎて忌明けとなり、普段の食生活に戻ることを指していました。

忌払いとは、もともとの意味は、仏教において四十九日の法要が過ぎて忌明けとなり、普段の食生活に戻ることを指していました。現在では特に都市部ではあまり守られていませんが、仏教では四十九日の忌明けまでは殺生を避けるために、肉・魚を使った料理を口にしないしきたりになっています。

なのでその忌が明けるという忌みで「忌払い」と呼ばれていました。地方によっては忌払いの儀式があるところもあります。 いずれにせよ、食生活のみならず日常生活も普段どおりに戻しつつあるようにする一つの目安といえるでしょう。

しかし、現在「忌払い」という単語はかなり違う意味で使われています。それは、告別式の後あるいは火葬をしている最中に、親族などご葬儀でお世話になった方達への御礼として設ける席ないしはそこで振舞われる料理のことを「忌払い」と言うようになりました。

これは忌払いという表現よりも「精進落とし」という言い方の方がよく聞くことが多いかもしれません。現在ではこの精進落としと忌払いがほぼ同義として取り扱われるようになりました。

しかし呼び方は異なっていても、亡くなった方の安らかな成仏のために開くイベントであることには、変わりません。忌払いに参加する人は故人様を偲び、料理を口にします。

「忌払い」なので出された料理は口にするのがしきたりです。こうする事で通常の食生活に戻れるという意味合いがある行事だからです。 告別式の後なので、気分的にもなかなか箸が進まないという人もいるかもしれません。それでもなるべく少しでもいいから箸はつけるようにします。

また忌払いで出される料理は本来の意味からいえば肉や魚を断った精進料理が振舞われるべきなのですが、時代の流れや考え方の多様性から、料理の内容についても、肉や魚を使った料理も出されるようになり、あまりこだわらないようになってきました。

参列者に対するお礼のという意味で用意される料理なので、できれば肉や魚を使ったおいしい料理でもてなしたいと考える人も多くなってきたようです。これらの料理は告別式が行われた斎場や寺院で行われることもあれば、どこかの料理屋に移動して行われる事もあるようです。

またこの時に酒を振舞われる事もあります。これは、故人様に対する献杯の意味合いもあるので、車で来た人以外はこれも口にすべきでしょう。いずれにせよ、故人様を偲び親族の意向も汲みながらいただきたいものです。

引導(いんどう)

仏教における葬送儀礼の1つで、ご葬儀において僧侶が死者に対して読経を行った後に読誦される法語

仏教における葬送儀礼の1つで、ご葬儀において僧侶が死者に対して読経を行った後に読誦される法語仏教における葬送儀礼の1つで、ご葬儀において僧侶が死者に対して読経を行った後に読誦される法語。また、法語などを授ける行為・作法をいいます。本来は、人々を、仏道の正しい教えに引き入れ、導く事であり、迷える人々や、死者、霊を経文や法語を唱え、仏道に導くことをいいます。

転じて、お葬式の際に僧侶が棺の前に立ち、死者が悟りを得て成仏できるように経文や法語を読み上げる作法を行います。死者が現世への未練や迷いを断ち切って来世へと旅立てるように導く行為が「引導を渡す」という事であり、また、その読み上げる法語の事を「引導」と呼びます。

お葬式の際に、親族や近親者によって故人様の旅立ちを見届ける中、僧侶がお経を読み終わった後、引導が読み上げられます。ご葬儀の中で、僧侶による読経のあとに“引導渡し”が行なわれますが、これは故人様に対して「あなたは既にこの世の者ではないので、俗世間への思いを断ち切り、迷わず浄土へ向かい、仏に帰依しなさい」といった意味あいを含めた言葉をおくるものです。

死者が成仏できるよう法語を読み上げる引導渡しは、「喝!」(かつ)という言葉を発し「この世への未練を断ち切りなさいと」喝を入れます。この時に死者が仏門に導かれた証といて法名(戒名)が授けられます。もともとは僧侶が亡くなったときに引導が与えられていたが、仏教が鎌倉時代あたりから普及するのに伴い一般家庭でも引導がおこなわれるようになりました。

しかし、引導自体が宗派によって行わない場合や宗派によっては引導の作法の違いがありますのでご自身の宗派で一度お調べになられるとよろしいでしょう。引導の種類や方法は、宗教の宗派によってさまざま形式があり、画一化されていません。また、原則として浄土真宗ではご葬儀において引導はおこなわれないようです。

引導渡しの作法は宗派によって違いがありますが、死者を弔うご葬儀の中では重要な過程となります。現在では、フリガナをつけて、分かりやすい説明をつけたお経の小冊子を配布する所も多くなりましたので、一度じっくりと読んでみるのも良いかもしれません。

現在では(よく時代劇などでも聞かれる口語)、「引導を渡す」のように、最後の別れの意味として相手にネガティブな最終宣告や縁を切ることを告げる際に使われるようになっていますが、この語源は上記の仏語的な意味から来ているとされています。

打敷(うちしき)

打敷(うちしき)とは、仏教寺院や仏壇に置かれる卓の天板の下にはさむ敷物です。

打敷(うちしき)とは、仏教寺院や仏壇に置かれる卓の天板の下にはさむ敷物です。荘厳具(仏像、仏堂を装飾するために用いる道具)の一種です。

元々は釈迦の座る高座の上に敷かれていたもので、後に仏像の前の卓の上に敷かれるようになったのが起源とされます。打敷の「打」には「張る」という意味があり、卓上に張り敷くことを意味します。内敷とも書きます。安価なものは人絹製・機械刺繍のものまであり、高価なものは正絹製・手刺繍のものがあります。西陣織など伝統工芸品になると非常に高価になります。

平時は打敷をかけることはしません。法要は彼岸、お盆、正月、祥月命日などの仏事の際に、卓に掛け荘厳します。49日の間は白無地の打敷を用います。あらかじめ、このような打敷を用意しておくことが望ましいです。用意できなかった場合は、通常の打敷を裏返して白い面を表にして代用することも多いです。

また、季節によって夏用と冬用に使い分けるのが望ましいです。基本的に夏用のものは涼しく薄手のもので、冬用のものは厚手で美しい刺繍されているものが多くなっています。9月中旬(彼岸入り)から5月ごろまでは冬用を用います。6月から9月上旬(彼岸入りの前)までは夏用の打敷を用いるのが望ましいです。

宗派によっても違いあります。浄土真宗本願寺派は逆三角形の打敷で、その形状から「三角打敷」とも呼ばれます。宗紋が入ったものや織物の打敷を主に使用します。浄土真宗本願寺派では前卓の大きさよりもやや大きいサイズが最適とされています。

真宗大谷派は逆三角形の打敷で、その形状から「三角打敷」とも呼ばれます。宗紋が入ったものや刺繍が施された打敷を主に使用します。真宗大谷派では前卓の大きさよりもやや大きいサイズが最適とされています。

その他の宗派は四角形の打敷を使用します。宗紋が入ったものや織物タイプなどさまざまな打敷が仏壇店で販売されています。特注で家紋入りの打敷を作るサービスを行う店舗もあります。

宇宙葬(うちゅうそう)

宇宙葬とは、故人様の遺骨などを収めたカプセルをロケットに載せ、宇宙空間に打ち上げる散骨の一つです。

宇宙葬とは、故人様の遺骨などを収めたカプセルをロケットに載せ、宇宙空間に打ち上げる散骨の一つです。宇宙葬とはいうものの、実際には地球の重力圏を離脱できず、打ち上げられたロケットのほとんどは地球を周回する軌道上に載ります。ロケットはそのまま地球の周りを浮遊したあと、地球の重力に引かれて落下し、最終的には燃え尽きます。

宇宙葬で打ち上げるロケットには、容積・質量の制約があります。そのため、多くの場合はシリンダー状の容器に一人の遺骨を数g入れ、数十から数百人分の遺骨を同時に打ち上げます。ちなみに、宇宙葬に使用されるロケットは、既存の商業ロケットを転用する場合が多いです。

宇宙葬に対する批判として、スペースデブリ(宇宙ゴミ)の増加につながるという声があります。ただし、打ち上げられたロケットや遺骨などは重力によって大気圏に接近する時大気との摩擦によって最終的には「火葬」されます。宇宙葬の代表的な例としては、2004年に行われた150人分の宇宙葬などが挙げられます。宇宙葬の発展形として、人工衛星に遺骨を搭載したり、月面や外宇宙に遺骨を打ち上げるプランも検討されています。

この発展形としては、人工衛星に遺骨を搭載するもの、月面や外宇宙に対して遺骨を打ち上げる例もあります。シューメーカー・レヴィ第9彗星の共同発見者であるユージン・シューメーカーは1997年に交通事故で急逝したのち、2005年に遺骨が探査機ルナ・プロスペクターにより月に送られました。これは月面に対して遺骨が送られた初の例です。

また、冥王星の発見者クライド・トンボーは1997年の死後、遺骨の一部が2006年に打ち上げられた冥王星探査機ニュー・ホライズンズに搭載されました。これは外宇宙に向けて遺骨が打ち上げられた初の例です。外宇宙や他の惑星へ向かう衛星は重量制限が厳しいため、現在は何らかの功績を残した著名人に限られているそうです。

盂蘭盆 (うらぼん)

盂蘭盆(うらぼん)とは、ullambana(ウランバナ)というサンスクリット語を音写したもので、単に盆とも言います。

盂蘭盆(うらぼん)とは、ullambana(ウランバナ)というサンスクリット語を音写したもので、単に盆とも言います。「ウランバナ」には「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさまにかかる)とされてきました。

このため、盂蘭盆は仏教行事の一つとされ、餓鬼道などに落ちて倒懸の苦しみを受けている亡者のために仏事を行うことによって、その苦しみを取り除くことです。盂蘭盆は、もとを正せば中国で始まり、盂蘭盆経に基づいて、苦しんでいる亡者を救うための仏事でした。それが日本に伝わって初秋の満月の晩に行われていた魂(たま)祭りと習合して、祖先霊を供養する仏事となりました。既に斉明天皇3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたという記述があるとのことです。

更に、聖武天皇の天平5年(733年)7月には大膳職に盂蘭盆供養されてからというもの、宮中の恒例の仏事として毎年7月14年に開催され、盂蘭盆供養、盂蘭盆供と呼ばれるようになりました。その後も、奈良・平安時代には盂蘭盆会は公事として毎年7月15日に行われ続け、鎌倉時代には「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行うようになったそうです。

さらに、江戸時代には7月13日から16日にかけて盂蘭盆会が行われるようになったそうです。盂蘭盆は現在の日本でも、7月15日を中心として祖先の冥福を祈る行事とされています。盂蘭盆では通常、迎え火をたいて死者の霊を迎え、精霊棚(しょうりょうだな)を作って供物をそなえ、お坊さんに棚経(たなぎょう)をあげてもらい、墓参りなどをして、送り火をたいて霊を送ります。もっとも現在では、盂蘭盆を陰暦で行う地方もあれば、一月遅れの8月15日に行う地方もあります。

しかし、地域によって時期が異なるとはいえ、盂蘭盆が日本の文化にしっかりと定着した伝統的文化行事であることは確実ですので、大切にしたいと思います。

永代供養 (えいたいくよう)

永代供養 (えいたいくよう)とは、数世代にわたる比較的長期の年月をかけて、亡くなられた方を供養する行為のことです。

永代供養 (えいたいくよう)とは、数世代にわたる比較的長期の年月をかけて、亡くなられた方を供養する行為のことです。もともとは、永代供養は子々孫々の代まで先祖を祀り供養する宗教行事を意味していたものの、現在では墓園業者や寺院の営業用語として使用されることが多くなっています。

そして「永代」という言葉を使っていることに基づく誤解から、トラブルが発生するおそれも高いのです。つまり、10回忌、30回忌や50回忌までという内規が定められている場合や、お墓を継承すべき子孫が改宗などで檀家を辞めるなどして信仰を離れた場合に永代供養の契約が破棄される場合も多いので、文字通りの「永代」ではないのです。また霊園が倒産したり寺院が廃寺したためお墓が消滅に追い込まれることもありますので、「永代供養」だから安心とは限らないのです。

永代供養がいつ頃始まったかは不明ですが、江戸時代に書かれた永代台帳が多くの寺院で見受けられますので、古くから行われていたことは確かです。檀家制度も、同じく江戸時代に設けられた上、檀那寺の維持にその都度つとめることと引き換えに檀家の供養を寺院が行うという点で永代供養を保証しています。しかし、檀家制度は寺院を保持するために近隣を対象としたのに対し、永代供養では地域に関係なしに信仰により供養する点が違います。

したがって、永代供養を古くから行っている寺院の多くは、檀家を持ちません。もっとも、近年は核家族化などのため、檀家寺でも永代供養を行う所が増えてきていまして、このことは檀家制度と永代供養の違いをあいまいにして、ひいては葬式仏教と揶揄される原因の一つともなっています。

最近では、少子高齢化が進行しているため、生前から永代供養する中高年が増加しています。また、お墓や信仰を継承する子孫がいないため死後の供養が期待できない人たちのために、その遺骨や位牌を境内の共同墓地に合祀して、寺院が存続する限り僧侶が定期的に共同墓地を保守管理することを永代供養と定義する寺院もあります。しかも、無縁社会という言葉が流行語となり、2010には年間32000人が無縁死したとすら言われていますので、永代供養ビジネスは活況を帯びつつあると言えるかもしれません。

エンバーミング (エンバーミング)

エンバーミングとは、遺体を消毒や保存処理したり、必要に応じて修復することで長期の保存を可能にする技法のこと

エンバーミングとは、遺体を消毒や保存処理したり、必要に応じて修復することで長期の保存を可能にする技法のことで、日本語では死体防腐処理または遺体衛生保全と言います。欧米では土葬が基本ですから、遺体から感染症を蔓延することをも目的としてエンバーミングが多く行われています。

エンバーミングに際しては、エンバーマーと呼ばれる葬儀専門の技術者や医学資格を持つ医療従事者によって、化学的・外科学的な遺体処理が行われます。より具体的に説明しますと、エンバーミングは現在、次のような方法で行われています。

  1. 全身を消毒処理し、洗浄します。
  2. 遺体の表情を整え、必要に応じて髭を剃るなどの処理が行われます。
  3. 遺体に少切開(主として頚部など)を施し、動脈から体内に防腐剤を注入します。それと同時に、静脈から血液を排出します。
  4. 腹部に約1cmの穴を開けて、そこから鋼管を指し胸腔・腹部に残った体液や、腐敗を起こしやすい消化器官内の残存物を吸引し除去します。 それと同時に、これらの部分にも防腐剤を注入します。
  5. 切開を施した部位を縫い合わせ、事故などで損傷した箇所がある場合にはその部分も修復します。この時、切開を行った部分にはテープ等を貼って目立たなくします。
  6. 再び全身や毛髪を洗浄して、遺族から頼まれた衣装を着せ、表情を整え直した上でご納棺します。

1~6のような処理を済ませた遺体は、注入される薬剤の濃度や量によっては、数日~2週間程度までは常温で保存することができます。また、これ以上徹底した処理を行った場合には、保存できる期間を更に延ばすことができまして、防腐剤を交換するなど定期的にメンテナンスをすれば、生前の姿のまま保存展示することすらできます。

上に書いたことからご想像できるでしょうが、エンバーミングのはじまりは古代のミイラにまで遡れます。しかし、近代においてエンバーミングが急速に発展するきっかけとなったのは、1860年代にアメリカで起きた南北戦争であるとされています。なぜなら、当時の交通手段では、兵士の遺体を故郷に帰すために長い期間がかかったので、遺体保存の技術が必要とされたからです。さらに、1960年代のベトナム戦争の際に、南北戦争と同じ理由で、エンバーミングは一層技術的に発展しました。

これに対して日本では、仏教の影響から火葬の慣習があるので、エンバーミングはまだ稀です。ただ、日本以外の国で亡くなった日本国籍の方を日本国内にご搬送する場合には、エンバーミングが行われる場合もあります。

延命治療(えんめいちりょう)

延命治療とは一般に回復の見込みがなく、死期が迫っている終末期の患者への生命維持のための医療行為のことをいいます。

人工呼吸器の装着、心臓マッサージや昇圧剤投与による心肺機能の維持、水分や栄養の点滴などがあります。しかし、「終末期」の明確な定義はなく「いつまでが救命で、いつからが延命か」という線引きは難しくなっています。

治癒・回復させる治療も、限定的に回復させる治療も、心身の機能を維持させる治療も、進行を遅延させる治療も、延命効果・生命予後は年齢が若いほど大きく、年齢が高くなるほど小さくなります。乳児期・幼児期・児童期・少年時・青年時・中年時・壮年時・前記老年時・後期老年時のどの時期のどの種類の延命なら良い延命・適切な延命で、どの時期のどの種類の延命なら悪い延命・不適切な延命であるか、その定義は困難です。

終末期という状態・時期は全ての人が必ず到達・経験するわけではありません。治療しなければ死に至る病気・障害であり、完全に治癒・回復させる治療、限定的に回復させる治療、進行を遅延させ心身の機能を維持させる治療により、何年・何十年という転移で延命させる治療が可能になり、延命治療は社会に広く普及しました。

慢性病患者や重度障害者になると、終身の医療や介護が必要になります。延命治療を開始する時期が若いほど、余命が長くなるため、医療費は高額になる傾向があります。

本人の意思よりも、家族や意志の判断で行われることも多く、本人の尊厳を重視した「尊厳死(自然死)」の方が本人にとっては幸せなことではないのかという議論もでています。延命治療の考え方は十人十色なので、そのときの状況によって変わってきます。

お清め(おきよめ)

家の中に不浄をいれないという考え方から塩を体にふり「清める」という行為を行います。これを「お清め」と言います。

お通夜や告別式から帰ってきたら、玄関を入る前に行うとよいとされています。

お清めの流れ

手を洗う
火葬場に行かなかった人にひしゃくで水をかけてもらい、手を洗いましょう(省略する場合も)。

塩を用意する
多くの場合、ご葬儀の最後に配られる会葬御礼の挨拶状と一緒に、小さな塩の包みが入っています。

体に塩をかける
自分の胸、背中、足元の順に塩をふります。同居家族がいる場合には、家族の方にお願いします。単身の場合には、自分で行います。

塩を踏む
最後に、足元の塩を踏みます。

仏教では、死は「不浄」ではないため、ご葬儀後にお清めをする必要はないと考えています。そのため、宗派によっては、塩が入っていない場合もあります。 死を穢(けが)れとは捕らえない考えにより、お清めは不要とする考えも強くありますので、お清めをされるか否かはご喪家の考えに基づいてご選択されることが良いでしょう。神道では、死を穢れと考える一方で、仏教では死は成仏、つまり「仏に成る」ため、不浄ではないと考えています。そのため、近年では塩による清めは不要だという主張も多くなってきています。ちなみに、浄土真宗ではお清めは行いませんので、浄土真宗で執り行うご葬儀では、お塩が準備されていないことも多く、また受付だけに置いておくなど、ご希望する方だけ持ち帰るようにしている場合もあります。その流れから、塩の小袋をつけていないといったことも増えてきています。自分は絶対にお清めをしたいという単身の方は、あらかじめ自分で塩を用意しておくことをおすすめします。お清めをするかどうかは、自分自身の気持ちや信条によるものですので、近年の主張に関わらず、自分自身で決めてかまいません。清め塩を使うかどうかは考え方次第。習俗・信仰・地域等、さまざまな事情が絡んできますので、自分自身で判断することになります。