ご葬儀用語集

ご葬儀用語集:さ行

斎場(さいじょう)

斎場とは、ご葬儀を行う場所であり、その施設のことをいいます。現在では、自宅でご葬儀を行うよりも、斎場でご葬儀を行うことが増えているようです。

斎場と定義される場所は様々あります。一般的には、公営の斎場、寺院、教会、葬儀施設など、幅広い場所を斎場と呼んでいます。ほとんどの場合、公営の斎場か、民間の斎場を借りてご葬儀を行うことになります。

公営の斎場は、地方自治体が運営している公的な斎場です。ご自分の住まわれている地域の公営斎場を利用した場合、民間の斎場に比べ、比較的安価な料金でご葬儀を執り行うことが可能です。特に地方では、地方自治体が運営している公的斎場の割合が高く、多くの方が利用します。

これに対し、民間斎場は葬儀社が所有していることが多く、交通の便がよく、日程の融通も利きます。また、葬儀社が使い慣れているということもあり、対応がスムーズです。特に、東京都では民間の斎場が多く、火葬場も併設している場合があります。

菩提寺で行うという選択もあります。僧侶にご相談しやすく、遺族も慣れしたんだ菩提寺であれば、安心して故人様を送り出すことが可能です。いずれにしても、故人様を送り出す最後の場所になるので、よく吟味して決めると良いでしょう。

死化粧(しにげしょう)

死化粧は死者の顔に施す化粧のことです。別名でエンゼルメイクとも呼ばれています。

使用されるのは死化粧用の化粧品になりますので、より安らかな顔に整えることができます。土葬をするアメリカでは、死化粧師(エンバーマー)はポピュラーな存在です。しかし、日本では火葬されることが多いため、あまり重要視されていませんでした。映画やマンガなどの影響を受け、現在では日本にも浸透し始めています。いずれにしても、死者との最後のお別れになるので、気持ちよく送り出せるようにしたいものです。

社葬(しゃそう)

会社を挙げて執り行うご葬儀の式(かたち)です。

社葬とは、会社などにおいて多大な功績を残された方、例えば会社の会長や社長、役員だった方が亡くなられた場合等に会社を挙げて執り行うご葬儀の式(かたち)です。

出棺(しゅっかん)

ご葬儀が終わると、祭壇から棺をおろして最後のお別れとなります。

その際には、遺族や参列者が遺体の周りに生花を飾る”別れ花”が行われます。 故人様に近い人から花を飾っていくため、喪主、喪主の配偶者、親兄弟、子供、というような順で行います。 一

般的には、葬儀社が花を用意してくれますが、自分で入れたい花がある場合には、それを入れることもできます。出棺ですが、棺はそれ自体が重い上に、遺体が納められているため、遺族や親族の中で力の強い男性が数人で霊柩車まで運びます。 運び出すときも、霊柩車に乗せるときも、どちらも足側が先にくるようにするのが通常です。 これは、故人様が家に帰ってこないようにとの思いが込められています。出棺の際には、喪主が位牌を、喪主の次ぎに縁が深い親族が遺影を持つのが一般的です。棺を霊柩車に納めると、喪主あるいは代表者が参列者に対して挨拶を行います。続いて火葬場に向かうとき、遺族や親族は複数の車あるいはバスなどを利用し、喪主は位牌を持ったまま霊柩車で火葬場へ向かいます。このとき、全ての遺族・親族が火葬場へ向かうのではなく、留守番役として数名残ることが多いようです。その場合、留守番役は遺骨を迎える準備や式場の片付けなどを行います。

焼香(しょうこう)

ご葬儀や法要に際、仏前や霊前に香を焚いて敬虔な心を捧げることです。

焼香には「座礼(ざれい)による焼香」や「立礼(りつれい)による焼香」、または「回(まわ)し焼香」などがあり、宗派によって作法が異なります。

浄土宗(じょうどしゅう)

承安5年(1175年)、法然上人によって開かれた浄土宗は、阿弥陀如来が作った極楽浄土に往生することを説いた教えです。

阿弥陀如来の救いを信じ、「南無阿弥陀仏」と唱えることで心身ともに清らかになり、人生を豊かに生きることができる。そして死後は仏となって浄土に生まれることができる、というのが教えの骨子です。総本山は京都府東山区の華頂山知恩教院大谷寺で、東京都港区の増上寺をはじめとする七大本山が存在します。主な経典は『浄土三部経』と呼ばれる『阿弥陀経』『無量寿経』『観無量寿経』の3つ。浄土宗のご葬儀の主な特徴は僧侶が行う『あこの儀式(火葬での点火の意)』です。僧侶が棺の前に進み焼香し、松明を意味する法具を2本取り、その1本を捨てる『おんりえど(煩悩にまみれた現世から離れる意)』を行い、もう1本の松明で円を描いて『あこの文』を読み上げ、同時に松明を捨てます。これを『ごんぐ浄土(極楽浄土に往生したいと心から願う意)』と言います。浄土宗のご葬儀の真髄は阿弥陀仏と参列者の縁を結ぼうとする『念仏一会』にあります。阿弥陀仏の救いを信じ、念仏を唱える者は必ず極楽浄土に往生できるという法然上人の教えが拠りどころなのです。

浄土真宗(じょうどしんしゅう)

日本の仏教の宗派のひとつで、明治以前は一向宗と呼ばれていました。宗祖は親鸞です。

念仏は「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀様への帰依を表明する文句です。「南無阿弥陀仏」と唱えることで、極楽への道が開かれるといいます。これはただ声に出せばいいのではなく、信心の心が大事だという教えも親鸞は説いています。浄土真宗のお坊さんになるには、2週間の講座を受けるだけでなれます。特別な修行はいりません。教えとしては、「如来のの本願力によって、悪人だけでなく、善人まで救われる」というものです。これを誤解して、「どうせ救われるのだからどんな悪いことをしたってかまわない」という間違った考えが出回ったりしたこともあります。「亡くなった後はすぐに成仏する」という考え方から、戒名はありません。「戒すらまもれない一般的な自分たちであるが、阿弥陀如来の他力に誓願によってのみ救われる」という考え方が関係しています。代わりに法名というものをつけます。これは仏弟子になったという証です。男なら釈○○、女なら釈尼○〇という三文字の名前が付きます。浄土真宗では、一般的な日本の仏教葬儀で必要となる位牌がいりません。位牌の代わりに過去帳というものに名前を書いたり、法名軸をかけたりします。

真言宗(しんごんしゅう)

真言宗とは、弘法大使(空海)が中国(唐)に渡って「密教」を学び、それを日本に伝えたことが始まりで、平安時代初期に大成した真言密教の教えを教義としています。

その思想の中心は「曼荼羅(まんだら)思想」です。真言密教の「真言」というのは、仏の真実の「ことば」を意味しているのですが、この「ことば」は、人間の言語活動では表現しきれないこの世界や様々な事柄の深い意味、すなわち隠された深い意味こそ真実の意味であり、それを知ることができる教えこそが「密教」であると述べています。それに対して世界や現象の表面に現れている意味を真実と理解している教えのことを「顕教(けんぎょう)」と呼んでいます。真言宗は、真言陀羅尼集(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅集(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称されます。空海は著作「秘密曼荼羅十住心論」「秘蔵宝鑰」で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一定の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込みました。最終的には顕教と比べて密教(真言密教)の優位性、または顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説きました。

禅宗(ぜんしゅう)

禅宗とは、座禅を主な修行方法としている仏教の宗派の1つです。

一般的には、宗派名ではなく、禅を説くことの宗派を総称して、禅宗と呼んでいます。仏心宗、達磨宗とも呼ばれており、中国で誕生し栄えました。日本には6世紀前半(鎌倉時代)に伝わったようです。我が国の禅宗は、臨済宗(りんざいしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)の3つです。これらを統合し、日本では禅宗と呼んでいます。禅宗は座禅を中心にした修行が特徴です。修行をすることで、人の本性が現れ、悟りが得られるとされています。日本に伝わった禅は、「悟りとは、何かのきっかけで突然啓かれる」という考えが根底にあるようです。この背景には、誰もが仏の心を持っているという思想があります。禅とは心の別名です。1つの思いに偏らない無念の心境を禅定(心身ともに動揺することがなくなった状態)と呼んでいます。心には本来、清浄なほとけが宿っているされていますが、私たちの心には常に曇りが生じています。禅により、曇りを払い、迷いを断ち切る。これが禅宗の考え方です。

曹洞宗(そうとうしゅう)

曹洞宗は日本や中国における禅宗の一派で、今から1200年ほど前の中国・唐の時代に洞山良价らによって開かれました。

曹洞宗は「曹渓慧能」と「洞山良价」とい二人の僧の名前からきていると言われています。日本には道元によって今から800年前に中国からもたらされました。やはり同じ頃栄西によって日本に移入された「臨済宗」と共に日本の禅宗の一大源流になりました。臨済宗は時の政権に支持され、中央都市の武家などにもてはやされたのに対して、曹洞宗は地方の武士や農民などに広まっていったと言われています。大本山は 福井県にある永平寺と神奈川県にある総持寺です。同じ禅宗である臨済宗は「公案」と呼ばれる命題を座禅をする時に与えられ、それの答えを求めるために座禅をするというのに対して曹洞宗ではただひたすら悟りの境地を得るために座禅をするという違いがあります。また開祖・道元の書いた「正法眼蔵」は日本思想を代表する書として知られ、海外にも良く知られています。曹洞宗のお寺の本尊は釈迦如来とされています。自宅の仏壇にも本尊に釈迦如来を祀ることがほとんどです。日々のお勤めでは「南無釈迦牟尼仏」と唱えます。お寺でよく唱えられるお経は」「般若心経」、「観音経」、「寿量品」などです。